京都観光データベース@ wiki内検索 / 「西京区」で検索した結果
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苔寺
...いほうじ)は、京都市西京区松尾にある臨済宗?の寺院。一般には通称の苔寺(こけでら)で知られる。山号を洪隠山(こういんざん)。開山は行基、中興開山は夢窓疎石である。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 寺伝によると西芳寺のある場所は聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代の僧・行基が寺にしたもので、当初は西方寺と称し、阿弥陀如来を本尊とする法相宗の寺であったという。その後、空海、法然?などが入寺したと伝える。近くにある松尾大社?の宮司藤原親秀?は、暦応2年(1339)に当時の高僧であり作庭の名手でもあった夢窓疎石を招請して、すっかり荒れ果てていたこの寺を禅寺として再興した。もとの寺名「西方寺」は、西方極楽浄土の教主である阿弥陀如来を祀る寺にふさわしい名称であるが、夢窓疎石はこれを西芳寺と改めた。「西芳」は「祖師西来」「五葉聯芳」という、禅宗の初祖達磨に関... -
善峯寺
...みねでら)は、京都市西京区大原野小塩町にある天台宗?系単立の善峯観音宗の寺院。山号は西山、本尊は千手観音、開基(創立者)・開山は恵心僧都の高弟、源算。西国三十三箇所観音霊場の第20番札所で、桜や紫陽花、紅葉の名所としても有名。 歴史 草創は寺伝によると天台宗?の僧、源算が長元3年(1030)に伽藍を建立した(長元2年(1029)とも)のが始まりという。源算は因幡国(現鳥取県)の人で、出家して比叡山で授戒した。源算が比叡山を降り、西山に道場を建立しようとしたところ、霊夢に助成の申し出があり、その夜、数千匹の猪が境内地にあった邪魔な岩を砕いたという。本尊の千手観音は長久3年(1042)に洛東の鷲尾寺に安置されていたものを、後朱雀天皇の命によって移したもの。平安後期、後三条天皇の皇后が懐妊のときこの像に祈祷して後の白河天皇を出産したといい、白河院政期には幾つかの荘園が寄進され、平... -
聚楽第
聚楽第 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、安土桃山時代に豊臣秀吉が京都の内野(平安京?大内裏跡で現在の京都市上京区にあたる)に建設した城郭。京都における豊臣政権の中心地として存在した。秀吉、次いで甥の秀次の居城となったが、秀次の失脚後、秀吉の命により破却された。 歴史 関白に就任した秀吉の京都の居館として、天正14年(1586)2月に着工、翌年9月に完成した。瓦に金箔を貼るなど大変贅沢なものだったというが、全貌を伝えているのは「聚楽第図屏風」に描かれた鳥瞰図のみで、それらによると天守のそびえる城郭であり、本丸を中心に二の丸などの曲輪と堀を巡らした平城としての性格も備えていたことがわかる。天正16年(1588)4月14日には、後陽成天皇の行幸を迎えて、諸大名に天皇と天皇の代理である... -
祇王寺
祇王寺 出典 『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)ほか 概略 祇王寺(ぎおうじ)は京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町にある真言宗?大覚寺派の寺院。山号は高松山、本尊は大日如来。法然?の弟子、念仏房良鎮の建てた往生院の跡といい、明治期に白拍子祇王ゆかりの寺として再興された。晩秋の境内を埋め尽くす散り紅葉が美しい。 歴史 嵯峨野にある小倉山の東麓、竹林に囲まれた一画に建つ。境内は法然?の弟子の念仏房の創立と伝える往生院跡にあたるが、中世以降荒廃していた。明治28年(1895)に『平家物語』『源平盛衰記』の遺跡として往生院祇王寺と名付け、尼寺として復興。当時の府知事であった北垣國道が、祇王を偲んで嵯峨の別荘にあった茶室(庵)を寄進し、これを本堂にして現在の祇王寺がつくられた。『平家物語』巻1によると、白拍子祇王は平清盛の寵愛を受けたが、加賀の白拍子仏御前に寵愛... -
西明寺
西明寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 西明寺(さいみょうじ)は、京都市右京区梅ヶ畑槇尾(まきのお)町にある寺院。山号は槇尾山。本尊は釈迦如来、宗派は真言宗?大覚寺派。開基(創立者)は、空海の十大弟子のひとりで甥にあたる智泉大徳。高雄(高尾)の神護寺、槇尾の西明寺、栂尾の高山寺を合わせ「三尾」とも呼ばれる。春に咲く三つ葉つつじの群生と秋の紅葉の見事さで知られる。 歴史 西明寺は神護寺の別院として天長9年(832)に智泉大徳によって創建された。鎌倉時代には荒廃したが、建治年間(1275~1278)に和泉国槇尾山寺の自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔などが建てられた。また、正応3年(1290)には「平等心王院」の号を後宇多法皇より賜わり、神護寺より独立することになる。永禄年間(1558~1570)に兵火によって伽藍を焼失... -
詩仙堂
丈山寺(詩仙堂) 出典 石川琢堂編『詩仙堂』(詩仙堂丈山寺・1971)、山本四郎『石川丈山と詩仙堂』(私家版・2002)、久恒秀治『京都名園史』中(誠文堂新光社・1968) 概略 丈山寺(じょうざんじ)は、京都市左京区一乗寺にある史跡で、現在は曹洞宗永平寺派の寺院。山号は六六山、開基(創立者)は石川丈山で、晩年の隠棲所であった。中国の詩人36人の肖像画を掲げた「詩仙の間」があることに因み詩仙堂(しせんどう)とも呼ばれる。 歴史 石川丈山は三河国(現愛知県)の人で徳川家譜代の臣であったが、大坂夏の陣で抜駆けをして3人を討ち取ったため軍律違反の罪に問われて蟄居の身となり、妙心寺に入った。友人であった儒学者林羅山の勧めで藤原惺窩(ふじわらのせいか)に師事し、文武に優れると評判になる。老いた母のため一時期仕官したものの、のちに京都に隠棲し、終生風雅を友としたという... -
寂光院
寂光院 出典 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(山川出版社・1956)、『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか 概略 寂光院(じゃっこういん)は、京都市左京区大原?草生町にある天台宗?の尼寺。山号は清香山、本尊は地蔵菩薩?。寺伝では開基(創立者)を聖徳太子とする。平清盛の娘、建礼門院が平家滅亡後に隠棲した地として知られる。 歴史 推古天皇2年(594)に聖徳太子が父用明天皇の菩提を弔うために建立したとするが、無論当代史料にはみえず、伝説にすぎない。文治元年(1185)建礼門院平徳子がこの寂光院の傍らに庵をむすび、壇ノ浦で滅亡した平家一門と、子の安徳天皇の菩提を弔う日々を過ごした。建礼門院隠棲については、『平家物語』潅頂巻によると、文治元年(1185)5月1日に長楽... -
貴船神社
貴船神社 出典 『式内社調査報告』1(皇學館大學出版部・1979)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか 概略 貴船神社(きぶねじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。貴船川?の上流にあり、雨水をつかさどる水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、雨乞・止雨の神として崇敬された。晴れを願うときには白馬が、雨の場合は黒馬が奉納されたといい、のちに馬に代わって馬を描いた木板が奉納されたことから、絵馬が発祥したという。縁結びの神としても知られ、一方で丑の刻参りでも有名である。式内社(名神大)、二十二社の一社で、旧社格は官幣中社。日本全国に約450社ある貴船神社の総本社である。 歴史 創建の年代は不詳であるが、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って鴨川から貴船川?を遡って... -
梅宮大社
梅宮大社 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、胡口靖夫「橘氏の氏神梅宮神社の創祀者と遷座地橘三千代と橘諸兄をめぐって」(『国学院雑誌』78-8・1977)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)ほか 概略 梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は、京都市右京区梅津にある神社。酒解神・洒解子神・大若子神(おおわくご)・小若子(こわくご)神の四座を本殿に、橘清友・その娘の嘉智子(嵯峨天皇皇后、檀林皇后)・嵯峨天皇・仁明天皇の四柱を相殿に祀っている。式内社、二十二社のひとつで、旧社格は官幣中社。現在は神社本庁に属さない単立神社で、酒造の神として、また子授けや安産の神としても信仰されている。 歴史 正確な鎮座年は不明である。橘氏の祖である県犬養三千代が祀った神を、その子の橘諸兄が建立した円提寺(井手寺とも... -
鹿王院
鹿王院 出典 京都府教育委員会編『鹿王院文書目録』(京都府教育委員会・1997)、鹿王院文書研究会編『鹿王院文書の研究』(思文閣出版・2000)、『国史大辞典』、『京都市の文化財 記念物』(京都市文化観光局文化部文化財・1992)ほか 概略 鹿王院(ろくおういん)は、京都市右京区嵯峨北堀町にある臨済宗?系の単立寺院。 山号は覚雄山、本尊は釈迦如来、開山(初代住職)は春屋妙葩、開基(創立者)は室町幕府3代将軍である足利義満。 歴史 鹿王院は、康暦2年(1380)に足利義満が建立した大福田宝幢寺の開山塔として創建されたことに始まる。開山の春屋妙葩は夢窓疎石の俗甥にあたり、貞和元年(1346)より天龍寺雲居庵の塔主となった。夢窓の没後、春屋妙葩は義堂周信とともに夢窓門下の中枢として天龍寺・臨川寺焼失後の復旧に尽力するなど活躍したが、応安2年(1369)に延暦寺衆... -
東本願寺
東本願寺(真宗本廟) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある浄土真宗?の一派、真宗大谷派の本山寺院。「お東さん」の愛称でも呼ばれるが「東本願寺」は通称であり、正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は教如(本願寺光寿)。徳川家康より本願寺(現在の西本願寺)の東側に寺領を与えられて創建された。近接する飛地境内地の渉成園も管理する。 歴史 浄土真宗?の宗祖親鸞?の末娘覚信尼によって興った本願寺が、越前国(福井県)吉崎から京都の山科、大坂の石山と各地を移転しながら発展。石山での織田信長との10年間のわたる抗争・和睦を経て、天正19年(1591)に豊臣秀吉からの土地の寄進を受け、京都市下京区堀川六条に移転する。本願寺11世顕如の死後、長男の教如と... -
千本釈迦堂
大報恩寺(千本釈迦堂) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、『日本歴史地名大系』27(平凡社・1979)、竹内秀雄『天満宮』(吉川弘文館・1968)、『日本美術全集』10(講談社・1991)、『古写経』(京都国立博物館・2004) 概略 大報恩寺(だいほうおんじ)は、京都市上京区溝前町にある真言宗?智山派の寺院。俗に千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)、北野釈迦堂とも呼ばれる。山号は瑞応山、本尊は釈迦如来。本堂は旧京都市街に現存する本堂建築としては最も古く、また重要文化財の仏像19躯を有する中世彫刻の宝庫でもある。 歴史 承久3年(1221)に猫間中納言藤原光隆?の従者、岸高が藤原秀衡の孫にあたる僧、求法上人義空に土地を寄進し、小堂に仏像を安置したことに始まる。昭和26年(1951)の解体修理で発見された義空の願文によれば、上棟は安貞... -
銀閣寺
慈照寺(銀閣寺) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 慈照寺(じしょうじ)は、京都市左京区にある臨済宗?相国寺派の寺院で相国寺の境外塔頭。通称銀閣寺、山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍足利義政、開山は夢窓疎石とされている(実際には夢窓疎石は創建より100年ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という)。慈照寺の名は足利義政の法名にちなむ。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 室町幕府8代将軍の足利義政が嗣子義尚(よしひさ)に将軍職を譲ったのち、文明14年(1482)に東山の月待山麓に山荘東山殿を造営した。東山殿は祖父足利義満の北山殿(金閣)にならい、義政が自らの美意識を投影して8年の歳月を費やし建立。簡素で枯淡の美を真髄としたその意匠は、後世に東山文化と呼ばれる。当時は... -
鞍馬寺
鞍馬寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 鞍馬寺(くらまでら)は京都市左京区鞍馬本町にある単立寺院で、鞍馬弘教の総本山。本尊を「尊天」と称し、毘沙門天、千手観音、護法魔王尊の三身一体であるという。山号は松尾山(しょうびさん)、開基(創立者)は鑑禎(がんてい)。山の精霊である天狗が住むという鞍馬山の南斜面に位置し、牛若丸(源義経)が修行をした地として著名。なお寺への輸送機関としてケーブルカーを運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者である。 歴史 寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起(あんばがいじえんぎ)』によると、鑑真と共に唐から渡って来た高弟8名のうちの最年少であった鑑禎が宝亀元年(770)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。山背国の北方に霊山があるという霊夢を見た鑑禎は、その霊山を尋ねて出掛け、ある山の上方... -
下鴨神社
賀茂御祖神社(下鴨神社) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区下鴨泉川町にある神社。下鴨神社は別称。祭神は玉依媛命(たまよりひめのみこと、玉依比売命とも)と賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と並び、京都で最も古い神社のひとつで、平安遷都後は王城鎮護の社として信仰された。ご利益は厄除け、方除け、学業成就、交通安全など。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 山城国『風土記』などに、玉依媛命が禊をしているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾い床に置いたところ、矢は美しい男神になり、結婚して子を生んだとの神話が伝えられている。賀茂建角身命は、古代の京都を拓いた神として、京都の守護神として祀られている。平安京?が造営される際に... -
龍安寺
龍安寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、重森千靑著『京の庭』(ウェッジ・2003)ほか 概略 龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗?妙心寺派の寺院。山号は大雲山。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450)に創建した禅寺である。衣笠山山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家?の流れを汲む徳大寺実能?以来、徳大寺?家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたもの。初代住職として妙心寺第5世住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。龍安寺の開山は実質的にはこの義天玄承とされているが、義天自身は2世に退き、自分の師の日峰宗舜を開山に立て... -
高山寺
高山寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 高山寺(こうざんじ)は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある寺院。山号は栂尾山。本尊は釈迦如来、宗派は真言宗?御室派系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵上人である。高雄(高尾)の神護寺、槇尾の西明寺、栂尾の高山寺を合わせ「三尾」とも呼ばれる。国宝7件、重要文化財50件を所有し、指定を受けている典籍の総数は1万点を超える。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 高山寺のある栂尾は、紅葉の名所として知られる高雄山神護寺からさらに奥に入った山中に位置し、古代より山岳修行の適地として、小寺院が営まれていたようである。平安時代には、近隣の神護寺の別院とされ、「神護寺十無尽院(じゅうむじんいん)」と称されていた。これ... -
永観堂
禅林寺(永観堂) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗?西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都(しんじょうそうず)。古くより「秋はもみじの永観堂」と謳われた紅葉の名所である。 歴史 空海の高弟である真紹僧都が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源とされる。真紹は仁寿3年(853)、歌人・文人であった故・藤原関雄?の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。10年後の貞観5年(863)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となっ... -
金戒光明寺
金戒光明寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区黒谷町にある黒谷浄土宗?の寺院。山号は紫雲山、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は法然?。知恩院・清浄華院?・百万遍知恩寺?とともに浄土宗?大本山のひとつとして高い格式を誇り、「黒谷(くろだに)さん」の俗称でも知られる。幕末には会津藩主松平容保が京都守護職の本陣を置いて家臣と共に駐屯した。 歴史 寺伝によれば、承安5年(1175)に法然?が比叡山の黒谷を下り、草庵を結んだのがこの寺の始まりであるとされる。草庵の地はもと延暦寺の寺領であり、この地にあった白河禅房を法然?が師より譲りうけて念仏道場とした。なお比叡山の黒谷(元黒谷)に対して新黒谷と呼ばれたが、現在は新黒谷は使われず単に黒谷と呼ばれる。寺号の紫雲山は、法然?がこの地に... -
真如堂
真正極楽寺(真如堂) 出典 赤松俊秀『京都寺史考』(法蔵館・1972)、京都府教育庁文化財保護課編『京都府の近世社寺建築』(京都府教育委員会・1983)、『日本古寺美術全集』25(集英社・1981)ほか 概略 真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)は、京都市左京区浄土寺真如町にある天台宗?の寺院で通称真如堂(しんにょどう)と呼ばれる。寺名は正真正銘の極楽の寺という意味で、真如堂はもともと本堂の呼び名であったという。山号は鈴聲山(れいしょうざん)、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は戒算である。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。紅葉の名所としても有名。 歴史 『真如堂縁起』によれば、永観2年(984)に一条天皇の母である東三条院(藤原詮子?)の御願により、延暦寺常行堂にあった阿弥陀如来像を神楽岡の東にあった女院離宮に移し、正暦3年(99... -
天龍寺
天龍寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 天龍寺(てんりゅうじ)は、京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗?天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は正式に天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山?の第一位とされてきた。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開いた檀林寺?があった。その後、荒廃していた檀林寺?の地に後嵯峨天皇とその皇子である亀山天皇が離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山の... -
三千院
三千院 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原?にある天台宗?の門跡?寺院。円融房、梨本門跡、梶井門跡などとも称する。青蓮院、妙法院?、曼殊院?、毘沙門堂とともに、天台五門跡?のひとつに数えられている。山号は魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄。境内の往生極楽院は元来別の寺院で12世紀から大原?の地にあったもの。明治4年(1871)に三千院の本坊が移転した際に、その境内に取り込まれた。 歴史 三千院は天台五門跡?の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦7年(788)に延暦寺を開いた時に、東塔南谷に「円融房」を開創したのがその起源という。円融房のそばに大きな梨の木があったため、後に「梨本門跡」の別称が生まれた。当時、比叡山内の寺院の多くは、山麓の平地に「里坊」と呼ばれる拠点をもって... -
清凉寺
清凉寺(嵯峨釈迦堂) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 清凉寺(せいりょうじ)は、京都市右京区嵯峨にある浄土宗?の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。本尊は釈迦如来。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名でも知られ、中世以来融通念仏?の道場としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗?となる。 歴史 この寺の歴史には、阿弥陀如来を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺というふたつの寺院が関係する。この地には嵯峨天皇の皇子、左大臣源融の別荘、栖霞観(せいかかん)があった。源融の一周忌に当たる寛平8年(896)に、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号... -
嵐山
嵐山 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 嵐山(あらしやま)は、京都府京都市右京区嵯峨の観光地で、山の名前でもあり、周辺一帯の地名でもある。京都市街の西の端に位置し、古くには嵯峨野もしくは嵯峨と呼ばれた。風光明媚故に平安貴族の別荘地となって以来、京都の代表的な観光地として、また桜や紅葉の名所として親しまれている。嵐山の中心部を流れる川に架かる渡月橋(とげつきょう)は嵐山の象徴になっており、四季折々の景観が美しい。なお渡月橋をはさんで上流が保津川で下流が桂川、橋の周辺が大堰川と呼ばれている。 歴史 美しい自然や清らかな流れが多くの歌人に愛され、歌にも詠まれた嵐山の地は、平安時代より貴族の行楽地や別荘地として、また大堰川は舟遊びの場として賑わった。山の嵐山(標高375m)は桜の時期の景観が有名で、この桜は後嵯峨上皇の亀山殿造... -
西本願寺
西本願寺(本願寺) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区にある浄土真宗?の寺院で浄土真宗?本願寺派の本山。「西本願寺」は通称で正式名称は本願寺である。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は親鸞?の末娘の覚信尼。宗門の地方寺院数は約10,000箇寺、在籍僧侶数は約30,000人を数える。現在も創建以来の数多くの名宝を有し、古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 浄土真宗?の宗祖親鸞?の入滅後、末娘の覚信尼が文永9年(1272)に現在の知恩院の崇泰院あたりに廟堂を営み、遺骨を安置したのが本願寺の発祥である。その後、廟堂は内紛のため破壊されたが、3代覚如が再建し専修寺と号し、さらに本願寺と改称した。その後8代蓮如が本願寺を大教団に育てた。当時の本願寺は天台宗?の末寺と... -
仁和寺
仁和寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗?御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。皇室とゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」の別名があり、桜の名所としても知られる。徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年死去した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888)に落成し、年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に御室と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称がある。なお、御室の旧地には現在、「... -
神護寺
神護寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗?別格本山の寺院。山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。京都市街の北西、 愛宕山(924m)山系の高雄山の中腹に位置する山岳寺院で、清滝川に架かる高雄橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などの堂宇が建つ。空海が教王護国寺(東寺)や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、最澄もここで法華経の講義をしたことがある。秋には6万坪の山内全域が錦秋に彩られ、紅葉の名所として特に著名。高雄(高尾)の神護寺、槇尾の西明寺、栂尾の高山寺を合わせ「三尾」とも呼ばれる。 歴史 神護寺は「神願寺」と「高雄山寺」というふたつの寺院が天長元年(824)に合併してできた寺である。神願寺は、和気清麻呂により... -
二条城
二条城(二条離宮) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区にある城。豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と徳川家康が建てた慶長年間の建築、徳川家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合された、いわゆる桃山時代様式の建造物が現存する。明治17年(1884)に宮内省の所管となり二条離宮(にじょうりきゅう)と改称。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 ※日本の歴史において「二条城」と呼ばれるものは複数ある。 (1)室町幕府第13代将軍足利義輝の居城 (2)織田信長によって、室町幕府第15代将軍足利義昭の居城として作られた城 (3)織田信長が、京に滞在中の宿所として整備し、後に皇太子に献上した邸 (4)徳川家康が、京に滞在中の宿所として作った城 現存する二条城は(4... -
哲学の道
哲学の道 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 哲学の道(てつがくのみち)は、北は慈照寺(銀閣寺)の参道にある銀閣寺橋から、南は若王子神社?付近の若王子橋に至る約2kmの小径で、琵琶湖疏水?の分流に沿って続く。疏水?の両岸に植えられた桜や紅葉の美しさは見事であり、また夏には蛍が飛び交うことから、四季を通じて多くの観光客で賑わう。 歴史 明治23年(1890)に東山山麓に琵琶湖疏水?に続く分流が開通し、疏水?沿いに小径が造られた。もともと「思索の小径」と呼ばれていたが、大正時代に活躍した京都帝国大学の講師だった西田幾多郎、田邉元ら哲学者が好んで散策し、思索にふけったことなどから「哲学の道」や「哲学の小径」と呼ばれるようになった。また、疏水?より東の山際にある細い道が、ドイツのハイデルベルクの「哲学者の道」と地形がそっくりなた... -
平安神宮
平安神宮 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社。祭神は平安京?遷都を行った第50代桓武天皇と第121代孝明天皇(明治天皇の父)。社殿は平安京?の朝堂院(大内裏の正庁)を模し、約八分の五に縮小して創建された。神門は応天門、外拝殿は大極殿を模している。旧社格は、官幣大社。京都市民の氏神として篤く信仰されている。 歴史 平安神宮は明治28年(1895)年に平安京?遷都千百年を記念して建てられた。当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがあり、幕末の戦乱と火災で市街地は荒廃し、明治維新によって天皇が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えていた。その状況下で京都を救ったのは京都復興への市民の情熱であり、数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新... -
大覚寺
大覚寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、大覚寺史資料編纂室『大覚寺文書』上・下(大覚寺・1980)、中村直勝監修『大覚寺』(主婦の友社・1975)、『日本古寺美術全集』14(集英社・1982)、『日本美術絵画全集』12(集英社・1981)ほか 概略 大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗?大覚寺派の大本山の寺院。山号は嵯峨山、本尊は不動明王を中心とした五大明王、開基(創立者)は嵯峨天皇、開山(初代住職)は淳和天皇の第2皇子恒寂入道親王である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの門跡?寺院で、後宇多法皇が院政を行ったため嵯峨御所とも称された。嵯峨天皇に始まるという華道の嵯峨御流を今に伝える。 歴史 空海、橘逸勢と並んで三筆に数えられた嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院に、嵯峨天皇の信任を得ていた空海が五大明王を安... -
相国寺
相国寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 相国寺(しょうこくじ)は、京都市上京区にある臨済宗?相国寺派大本山の寺院。山号は万年山、本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家ゆかりの禅寺であり、京都五山?の第二位に列せられている。五山文学の中心地でもあり、画僧周文や雪舟を輩出した。また、境内には13の塔頭寺院があり、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は相国寺の境外塔頭である。 歴史 室町幕府3代将軍足利義満は、いわゆる「花の御所」の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを永徳2年(1382)に発願。竣工したのは10年後の明徳3年(1392)であった。寺名の相国は「国を相(たす)ける人」から来ており、中国では宰相、日本では太政大臣の意味になり、太政大臣にまで登りつめた義満によって建て... -
南禅寺
南禅寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗?南禅寺派大本山の寺院。山号は瑞龍山、寺号は正式に「太平興国南禅禅寺」と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門?(大明国師?)である。皇室の発願になる禅寺としては日本最初のもので、京都五山?の上位(第一位の天龍寺よりさらに上に位置する)の別格扱いの寺院として、最も高い格式を誇る。 歴史 正応4年(1291)、亀山法皇は禅林寺殿を寺にあらため、当時80歳の無関普門?を開山として「龍安山禅林禅寺」と名づけた。伝承によれば、この頃禅林寺殿に夜な夜な妖怪変化が出没して亀山法皇を悩ましたが、無関普門?が弟子を引き連れて入り、座禅をしただけで妖怪は退散したので、法皇は無関?を開山に請じたという... -
広隆寺
広隆寺 出典 橋川正編纂『太秦広隆寺史』(京都太秦聖徳太子報徳会・1923)、追塩千尋『平安・鎌倉期広隆寺の諸相』(佐伯有清先生古稀記念会編『日本古代の祭司と仏教』吉川弘文館・1995)、林南寿『広隆寺の創建と移転』(『日本歴史』611・1999)『蜂岡寺と秦寺の本尊』(中央公論美術出版・2003)『太子信仰の寺への変貌』(『広隆寺史の研究』中央公論美術出版・2003)ほか 概略 広隆寺(こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺院。山号は蜂岡山。現在、真言宗?御室派の別格本山。京都最古の寺院で、聖徳太子が建立した七大寺のひとつとされる。帰化人である秦氏の氏寺でもあり、古くは秦寺・大秦公寺・秦公寺・太秦寺・蜂岡寺・葛野寺・桂林寺などとも呼ばれた。創建当初は弥勒菩薩?を本尊としていたが、平安京?遷都前後からは薬師如来を本尊とする。現在の広隆寺本堂に当たる上宮王院の本尊... -
妙心寺
妙心寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗?妙心寺派大本山の寺院。山号は正法山、本尊は釈迦如来、開基(創立者)は花園法皇、開山(初代住職)は関山慧玄である。三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周囲には46ヵ寺に及ぶ塔頭寺院が建ち並ぶ。日本にある臨済宗?寺院約6,000ヵ寺のうち約3,400ヵ寺を妙心寺派が占めており、寺院運営に秀でた妙心寺は俗に「妙心寺のそろばんづら」とも呼ばれる。 歴史 京都の禅寺は、五山十刹?に代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林(そうりん)」、後者を「林下(りんか)」と呼び、妙心寺は大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする林下の代表的寺院である。建武2年(1... -
京都NEWS
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