「鞍馬寺」(2008/09/10 (水) 12:31:13) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
&sizex(6){&bold(){鞍馬寺}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
&ref(kokedra.jpg) &ref(kokedera2.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){鞍馬寺}(くらまでら)は京都市左京区鞍馬本町にある単立寺院で、鞍馬弘教の総本山。本尊を「尊天」と称し、[[毘沙門天>四天王]]、[[千手観音]]、護法魔王尊の三身一体であるという。山号は松尾山(しょうびさん)、開基(創立者)は鑑禎(がんてい)。山の精霊である天狗が住むという鞍馬山の南斜面に位置し、牛若丸(源義経)が修行をした地として著名。なお寺への輸送機関としてケーブルカーを運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者である。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起(あんばがいじえんぎ)』によると、鑑真と共に唐から渡って来た高弟8名のうちの最年少であった鑑禎が宝亀元年(770)に草庵を結び、[[毘沙門天>四天王]]を安置したのが始まりという。山背国の北方に霊山があるという霊夢を見た鑑禎は、その霊山を尋ねて出掛け、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は鬼に襲われて殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには[[毘沙門天>四天王]]像があったので、これを祀る寺を建立したという。また別説に、延暦15年(796)、[[教王護国寺>東寺]]([[東寺]])の建設主任で自らが信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた[[藤原伊勢人>藤原氏]]が、霊夢のお告げに従って鞍馬山に着くと、そこには[[毘沙門天>四天王]]を祀る小堂があった。「観音を信仰しているのに、なぜ[[毘沙門天>四天王]]が」といぶかしがったが、その晩の夢に童子が現われ、「観音も[[毘沙門天>四天王]]も名前が違うだけで、元はひとつのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は[[千手観音]]像をつくって[[毘沙門天>四天王]]とともに安置したという。この草創については『今昔物語集』、『扶桑略記』などの諸書に見られる。平安時代には[[平安京]]の北方にあたることから、王城鎮護の寺として尊崇される。寛平年間(889~897)に[[教王護国寺>東寺]]([[東寺]])の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから[[真言宗]]寺院となるが、12世紀には[[天台宗]]に改宗し、長く[[青蓮院]]の支配下にあった。大治元年(1126年)をはじめ、文化9年(1812)や昭和20年(1945)に火災に遭って堂宇は焼失したが、仏像などの文化財は伝えられている。昭和期の住職、信楽香雲が昭和22年(1947)年に鞍馬弘教を開宗、昭和24年(1949)には[[天台宗]]から独立し、鞍馬弘教の総本山となった。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***本殿金堂
昭和46年(1971)の再建で入母屋造。堂内には中央に[[毘沙門天>四天王]]、向かって右に[[千手観音]]、左には護法魔王尊が安置され、これらを合わせて尊天と称している。寺伝によると魔王尊とは650万年前に金星から地球に降り立ったもので、16歳のまま歳をとることのない永遠の存在であるという。また[[毘沙門天>四天王]]・[[千手観音]]・魔王尊は「太陽・月・地球」および「光・愛・力」を象徴するという。いずれも秘仏であるが、60年に一度だけ特別開扉される。
***仁王門
明治24年(1891)に焼失し、明治44年(1911)に再建された朱塗りの楼門。仁王門をくぐってすぐにケーブルカーの山門駅がある。
***多宝塔
ケーブルカーの終点、多宝塔駅のすぐ傍にある。昭和35年(1960)の再建。本殿金堂までの道には多くの「うず桜」が咲き、[[足利義満>足利氏]]も花見に訪れたという。
***霊宝殿
1階は鞍馬山自然博物苑で動植物に関する展示がある。2階は寺宝展示室と与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示した与謝野記念室がある(鞍馬弘教を開宗した信楽香雲は与謝野門下の歌人であった)。3階は仏像奉安室で、国宝の[[毘沙門天>四天王]]立像をはじめとする文化財を展示。霊宝殿前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が移築されている。
***奥の院魔王殿・木の根道
魔王殿は本殿金堂から西の[[貴船神社]]へ抜ける途中の奇岩の上にある小堂で、本尊の魔王尊を祀っている。現在の建物は昭和20年(1945)焼失後の再建で、方一間、宝形造。途中の山道には鬱蒼とした巨木がそびえ、固い岩盤に遮られて杉の根が血管のように地表にむき出しになっている箇所がある。木の根道と呼ばれるその場所は、牛若丸(源義経)が天狗を相手に兵法の稽古したと伝わる。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
木造[[毘沙門天>四天王]]立像及び[[吉祥天]]・善膩師童子立像 鞍馬寺経塚遺物
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木造兜跋[[毘沙門天>四天王]]立像 木造[[聖観音]]立像([[定慶>慶派]]作) 黒漆剣 剣(無銘) 銅燈籠 紙本墨書鞍馬寺文書
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市左京区鞍馬本町1074
電話番号 075-741-2003
拝観時間 9:00~16:30
拝観料 200円(霊宝殿は別途200円)
アクセス 叡山電車鞍馬線「鞍馬駅」下車、本殿金堂まで徒歩30分(ケーブル利用12分)
駐車場 仁王門付近に民営駐車場あり
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「鞍馬寺の聖観音菩薩像の作者は誰か。 (ア)康勝 (イ)定慶 (ウ)湛慶 (エ)康円」
「歌人とその歌人が詠んだ歌碑の建っている場所について誤っているものを選びなさい。 (ア)上田秋成・梨木神社 (イ)大田垣蓮月尼・神光院 (ウ)吉田兼好・仁和寺 (エ)与謝野鉄幹と晶子・鞍馬寺」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「行事と行われる寺院について誤っているものを選びなさい。 (ア)人形供養・宝鏡寺 (イ)千灯供養・化野念仏寺 (ウ)筆供養・本法寺 (エ)花供養・鞍馬寺」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
----
#amazon(text,image,4473033643)
&sizex(6){&bold(){鞍馬寺}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
&ref(kuramadera.jpg) &ref(kuramadera2.jpg) &ref(kuramadera3.jpg)
&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){鞍馬寺}(くらまでら)は京都市左京区鞍馬本町にある単立寺院で、鞍馬弘教の総本山。本尊を「尊天」と称し、[[毘沙門天>四天王]]、[[千手観音]]、護法魔王尊の三身一体であるという。山号は松尾山(しょうびさん)、開基(創立者)は鑑禎(がんてい)。山の精霊である天狗が住むという鞍馬山の南斜面に位置し、牛若丸(源義経)が修行をした地として著名。なお寺への輸送機関としてケーブルカーを運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者である。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起(あんばがいじえんぎ)』によると、鑑真と共に唐から渡って来た高弟8名のうちの最年少であった鑑禎が宝亀元年(770)に草庵を結び、[[毘沙門天>四天王]]を安置したのが始まりという。山背国の北方に霊山があるという霊夢を見た鑑禎は、その霊山を尋ねて出掛け、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は鬼に襲われて殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには[[毘沙門天>四天王]]像があったので、これを祀る寺を建立したという。また別説に、延暦15年(796)、[[教王護国寺>東寺]]([[東寺]])の建設主任で自らが信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた[[藤原伊勢人>藤原氏]]が、霊夢のお告げに従って鞍馬山に着くと、そこには[[毘沙門天>四天王]]を祀る小堂があった。「観音を信仰しているのに、なぜ[[毘沙門天>四天王]]が」といぶかしがったが、その晩の夢に童子が現われ、「観音も[[毘沙門天>四天王]]も名前が違うだけで、元はひとつのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は[[千手観音]]像をつくって[[毘沙門天>四天王]]とともに安置したという。この草創については『今昔物語集』、『扶桑略記』などの諸書に見られる。平安時代には[[平安京]]の北方にあたることから、王城鎮護の寺として尊崇される。寛平年間(889~897)に[[教王護国寺>東寺]]([[東寺]])の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから[[真言宗]]寺院となるが、12世紀には[[天台宗]]に改宗し、長く[[青蓮院]]の支配下にあった。大治元年(1126年)をはじめ、文化9年(1812)や昭和20年(1945)に火災に遭って堂宇は焼失したが、仏像などの文化財は伝えられている。昭和期の住職、信楽香雲が昭和22年(1947)年に鞍馬弘教を開宗、昭和24年(1949)には[[天台宗]]から独立し、鞍馬弘教の総本山となった。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
***本殿金堂
昭和46年(1971)の再建で入母屋造。堂内には中央に[[毘沙門天>四天王]]、向かって右に[[千手観音]]、左には護法魔王尊が安置され、これらを合わせて尊天と称している。寺伝によると魔王尊とは650万年前に金星から地球に降り立ったもので、16歳のまま歳をとることのない永遠の存在であるという。また[[毘沙門天>四天王]]・[[千手観音]]・魔王尊は「太陽・月・地球」および「光・愛・力」を象徴するという。いずれも秘仏であるが、60年に一度だけ特別開扉される。
***仁王門
明治24年(1891)に焼失し、明治44年(1911)に再建された朱塗りの楼門。仁王門をくぐってすぐにケーブルカーの山門駅がある。
***多宝塔
ケーブルカーの終点、多宝塔駅のすぐ傍にある。昭和35年(1960)の再建。本殿金堂までの道には多くの「うず桜」が咲き、[[足利義満>足利氏]]も花見に訪れたという。
***霊宝殿
1階は鞍馬山自然博物苑で動植物に関する展示がある。2階は寺宝展示室と与謝野鉄幹・与謝野晶子の遺品等を展示した与謝野記念室がある(鞍馬弘教を開宗した信楽香雲は与謝野門下の歌人であった)。3階は仏像奉安室で、国宝の[[毘沙門天>四天王]]立像をはじめとする文化財を展示。霊宝殿前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が移築されている。
***奥の院魔王殿・木の根道
魔王殿は本殿金堂から西の[[貴船神社]]へ抜ける途中の奇岩の上にある小堂で、本尊の魔王尊を祀っている。現在の建物は昭和20年(1945)焼失後の再建で、方一間、宝形造。途中の山道には鬱蒼とした巨木がそびえ、固い岩盤に遮られて杉の根が血管のように地表にむき出しになっている箇所がある。木の根道と呼ばれるその場所は、牛若丸(源義経)が天狗を相手に兵法の稽古したと伝わる。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
木造[[毘沙門天>四天王]]立像及び[[吉祥天]]・善膩師童子立像 鞍馬寺経塚遺物
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木造兜跋[[毘沙門天>四天王]]立像 木造[[聖観音]]立像([[定慶>慶派]]作) 黒漆剣 剣(無銘) 銅燈籠 紙本墨書鞍馬寺文書
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市左京区鞍馬本町1074
電話番号 075-741-2003
拝観時間 9:00~16:30
拝観料 200円(霊宝殿は別途200円)
アクセス 叡山電車鞍馬線「鞍馬駅」下車、本殿金堂まで徒歩30分(ケーブル利用12分)
駐車場 仁王門付近に民営駐車場あり
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成16年(2004)第1回京都検定2級出題
「鞍馬寺の聖観音菩薩像の作者は誰か。 (ア)康勝 (イ)定慶 (ウ)湛慶 (エ)康円」
「歌人とその歌人が詠んだ歌碑の建っている場所について誤っているものを選びなさい。 (ア)上田秋成・梨木神社 (イ)大田垣蓮月尼・神光院 (ウ)吉田兼好・仁和寺 (エ)与謝野鉄幹と晶子・鞍馬寺」
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「行事と行われる寺院について誤っているものを選びなさい。 (ア)人形供養・宝鏡寺 (イ)千灯供養・化野念仏寺 (ウ)筆供養・本法寺 (エ)花供養・鞍馬寺」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
----
#amazon(text,image,4473033643)
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: