京都観光データベース@ wiki内検索 / 「小川治兵衛」で検索した結果
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お
...ら) 人物 小川治兵衛?(おがわじへえ) 仏像 語句 応仁の乱(おうにんのらん) -
池泉回遊式庭園
...園を植治?こと七代目小川治兵衛?が手掛け、幾多の名園が造られた。 西芳寺庭園 天龍寺庭園 鹿苑寺庭園 慈照寺庭園 桂離宮?庭園 円山公園 平安神宮神苑 無鄰庵?庭園 玄宮園 滋賀・彦根城 小石川後楽園 東京・小石川後楽園 六義園 東京・六義園 旧浜離宮庭園 東京・旧浜離宮 兼六園 石川・兼六園 リンク 日本庭園の美 http //www.ifnet.or.jp/~chisao/ 京の庭 -
円山公園
...の改良工事に着手し、小川治兵衛?によって池泉回遊式庭園に改造され、現在の景観となった。工事は大正3年(1914)に完成。 代表的な観光・観光施設 円山公園庭園 造園家七代目小川治兵衛?(植治)によって作庭された池泉回遊式庭園で、86,600平方メートルの広さを持つ。桜の名所として知られ、池の西にある枝垂れ桜は特に有名。昭和6年(1931)に円山公園および公園内に存在する双林寺・西行庵・長楽寺?・安養寺?・本願寺別院境内が国の名勝に指定された。 枝垂れ桜 明治初期の医師で実業家でもあった明石博高が、円山に新築している吉水温泉の建築現場を見回りをしていた際、伐採されようとする桜を見かけ、問答の末、譲り受けることとなり、京都府に寄贈された。この桜はもと宝寿院の境内にあったものであるが、慶応2年(1866)の同院失火と、上知令によって多くの坊が廃されたため残されてい... -
平安神宮
...。作庭は植治・七代目小川治兵衛?。社殿を取り囲むように南・西・中・東の四つの庭からなっている。明治の元老山県有朋の力添えによって明治27年(1894)に着工し、大正2年(1913)に完成。国の名勝に指定されている。庭園には年間を通じて50種類余りの鳥類が訪れ、都市のなかのオアシスもいうべき存在といえる。 南神苑は翔鸞池(しょうらんいけ)を中心に、平安時代の庭園の特色である野筋と遣水(やりみず)の様式を持つ。特に「平安の苑」は平安時代に著された書物(伊勢物語・源氏物語・古今和歌集・竹取物語・枕草子)に記されている200種余りの植物が、その一節の紹介とともに植栽されている。また平安遷都千百年を記念して敷設された日本で初めての電車、チンチン電車も展示されている。春にはたくさんの八重紅しだれ桜が咲く観桜の名所。南神苑のみ昭和43年(1968)に増築されたもの。 西神苑は閑静な雰囲気の池泉... -
善峯寺
...ており、植治・七代目小川治兵衛?が大正から昭和にかけて整備したもの。 本堂(観音堂) 元禄5年(1692)に再建。入母屋造、桟瓦葺。幾度も修復・改装されており、現在桟瓦葺であるが昭和初期まではこけら葺だった。内部には本尊の十一面千手観音立像と脇仏本尊として源算の自作であるという十一面千手観音立像が安置されている。 多宝塔 境内最古の建築で、元和7年(1621)に第28代住職の賢弘によって再建された檜皮葺の宝塔。内部には愛染明王が安置されている。 遊龍の松 多宝塔前に繁茂する五葉松で、桂昌院の栽植になるという伝承がある。実際には樹齢約600年におよぶ。全長30mにわたり地上にはいつくばるように主幹が伸びたその姿から「遊龍の松」と称され、天然記念物に指定されている。以前は全長が54mほどだったが、松食い虫の被害により平成6年(1994)に15mあまり切断された... -
青蓮院
...わるが、近年、七代目小川治兵衛?によって大幅に改修された。5月頃に樹齢数百年という霧島つつじが咲くことから名付けられたという。相阿弥の庭は華頂殿前に広がる池泉回遊式庭園で、粟田山を借景とする。中心の龍心池には跨龍橋(こりゅうのはし)という石橋が架かる。相阿弥の作庭と伝わる。 好文亭 相阿弥の庭にある築山の上に建つ茶室で、青蓮院を仮御所としていた後桜町上皇が学問所として使用した建物。平成5年(1993)に天皇の沖縄訪問に反対するものによる放火で焼失し、平成7年(1995)に創建当初の平面図を基にして、材料や工法も同様のもので復元された。数寄屋造で、四畳半の茶室三部屋と六畳の仏間、水屋等からなる。障壁画は日本画家上村松園?の孫淳之による花鳥図。 将軍塚大日堂 大日堂は青蓮院の南東、華頂山頂の青蓮院の飛び地境内にあり、華頂山中で発見された石仏の大日如来を祀る。4,000坪... -
二条城
...?の和風庭園。七代目小川治兵衛?(植治)による作庭で、 園内には角倉了以邸から移築された茶室「香雲亭」や、秀吉が聚楽第に築いた茶室を模して造られた「和楽庵」がある。 文化財 国宝 二の丸御殿 重要文化財(建造物) 本丸御殿 本丸櫓門 唐門 東大手門 北大手門 西門 東南隅櫓 二の丸御殿築地 台所 御清所ほか多数 重要文化財(美術工芸品) 二の丸御殿障壁画(全954点) 特別名勝 二条城二の丸庭園 史跡 二条城(旧二条離宮) 拝観情報 住所 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541 電話番号 075-841-0096 拝観時間 8:45~16:00(閉城17:00)、12/26~1/4と1・7・8・12月の毎週火曜日(休日の場合その翌日)は定休日 入城料 600円 アクセス 市バス「二条城前」下車すぐ 駐車場... -
上賀茂神社
賀茂別雷神社(上賀茂神社) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区上賀茂本山にある神社。上賀茂神社は別称。祭神は賀茂別雷命。賀茂御祖神社(下鴨神社)と並び、京都で最も古い神社のひとつで、平安遷都後は王城鎮護の社として信仰された。ご利益は厄除け、方除け。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 神話によれば、賀茂別雷命は付近一帯に定住していた賀茂一族の娘、玉依媛命(たまよりひめのみこと、玉依比売命とも)が、賀茂川?の川上から流れてきた丹塗りの矢を持ち帰って祀ったところ、身ごもって生まれた子。丹塗りの矢の正体は、火雷神のこととも大山咋神のことともいう。神社は賀茂別雷命が父である天神(あまつかみ)のもとへ召還され、現在の本殿の約2km北にある神山(こうやま... -
金戒光明寺
金戒光明寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区黒谷町にある黒谷浄土宗?の寺院。山号は紫雲山、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は法然?。知恩院・清浄華院?・百万遍知恩寺?とともに浄土宗?大本山のひとつとして高い格式を誇り、「黒谷(くろだに)さん」の俗称でも知られる。幕末には会津藩主松平容保が京都守護職の本陣を置いて家臣と共に駐屯した。 歴史 寺伝によれば、承安5年(1175)に法然?が比叡山の黒谷を下り、草庵を結んだのがこの寺の始まりであるとされる。草庵の地はもと延暦寺の寺領であり、この地にあった白河禅房を法然?が師より譲りうけて念仏道場とした。なお比叡山の黒谷(元黒谷)に対して新黒谷と呼ばれたが、現在は新黒谷は使われず単に黒谷と呼ばれる。寺号の紫雲山は、法然?がこの地に... -
聚楽第
聚楽第 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、安土桃山時代に豊臣秀吉が京都の内野(平安京?大内裏跡で現在の京都市上京区にあたる)に建設した城郭。京都における豊臣政権の中心地として存在した。秀吉、次いで甥の秀次の居城となったが、秀次の失脚後、秀吉の命により破却された。 歴史 関白に就任した秀吉の京都の居館として、天正14年(1586)2月に着工、翌年9月に完成した。瓦に金箔を貼るなど大変贅沢なものだったというが、全貌を伝えているのは「聚楽第図屏風」に描かれた鳥瞰図のみで、それらによると天守のそびえる城郭であり、本丸を中心に二の丸などの曲輪と堀を巡らした平城としての性格も備えていたことがわかる。天正16年(1588)4月14日には、後陽成天皇の行幸を迎えて、諸大名に天皇と天皇の代理である... -
大徳寺
大徳寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 大徳寺(だいとくじ)は、京都市北区紫野にある臨済宗?大徳寺派大本山の寺院。山号を龍宝山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)。茶の湯の文化と縁が深いことから「大徳寺の茶づら」とも呼ばれた。境内には仏殿、法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20ヵ寺を超える塔頭寺院が建ち並び、建造物、庭園、障壁画、茶道具、書画など多くの文化財を今に伝えている。 歴史 開祖である宗峰妙超は、鎌倉の高峰顕日(こうほうけんにち)や京の南浦紹明?(なんぽじょうみん)に参禅し、徳治2年(1307)には師から印可を得る。播磨国(現兵庫県)守護・赤松氏の家臣である浦上(うらのえ)家の出身であった縁で、正和4年(1315)、赤松則村(円心)の帰依を受け(元応元年=1319説も)... - @wiki全体から「小川治兵衛」で調べる