京都観光データベース@ wiki内検索 / 「黄檗宗」で検索した結果
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萬福寺
...、京都府宇治市にある黄檗宗?大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦(いんげんりゅうき)、本尊は釈迦如来。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗?の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物、仏像、儀式作法から精進料理に至るまですべて中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは全く異なった雰囲気を持ち、普茶料理、煎茶道、唐様書道など、隠元のもたらした中国文化は日本の文化全体に大きな影響を与えた。なお「万福寺」と表記されることもあるが、宗教法人としての名称は「萬福寺」である。 歴史 隠元隆琦は中国明時代の万暦20年(1592)、福建省福州府に生まれた。29歳で仏門に入り、46歳の時、故郷の黄檗山萬福寺の住職となる。隠元が招かれて来日するのは63歳の時である。当時の日本は鎖国政策を取ってはいたが、長崎港のみは開かれて明人が居住し、崇福寺、興福寺... -
釈迦如来
...る臨済宗?、曹洞宗、黄檗宗?の禅宗各派では釈迦如来の脇侍として十大弟子の大迦葉尊者・阿難尊者を配することがある。またインドの優塡王(うてんおう)が釈尊を慕って刻ませたという像を写した中国の模像を、10世紀末に入宋した奝然(ちょうねん)が請来したという清凉寺の釈迦如来像は、頭髪を螺髪ではなく編んだ紐にし、衲衣のひだを波紋のように細かく表現している。この様な極めて異国的な様式を備える像を「清凉寺式釈迦像」と呼ぶ。 日本における代表的な釈迦如来像 飛鳥時代(白鳳期) 奈良・法隆寺金堂三尊像 国宝 奈良・飛鳥寺本尊銅造坐像 重要文化財 東京・深大寺本尊銅造倚像 重要文化財 奈良時代(天平期) 蟹満寺?坐像 国宝 奈良・新薬師寺本尊坐像 国宝 奈良・東大寺誕生釈迦仏立像 国宝 ※現在は奈良国立博物館所蔵 平安時代 清凉寺(嵯峨釈迦堂)本尊立... -
春屋妙葩
春屋妙葩 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 春屋妙葩(しゅんおくみょうは・しゅんのくみょうは)は室町時代の臨済宗?の禅僧で、天龍寺や臨川寺の住職を歴任。師である夢窓疎石を勧請開山とし、第二世住職(事実上の開山)として相国寺を開き、臨済宗五山派を興して五山版の刊行なども行い、五山文化の発展に寄与した。諡号は知覚普明国師。応長元年~元中5年/嘉慶2年(1311~1388) 人物史 甲斐国(山梨県)の生まれで、姓は平氏。7歳のとき、母方の叔父である夢窓疎石について出家。夢窓に随侍し己事の究明に励んだ。観応2年(1351)に夢窓が77歳で没すると、すでに一流の禅僧に成長していた春屋は、『夢窓国師年譜』を撰し、教えを集めた法語集『西山夜話』を世に出した。室町幕府初代将軍足利尊氏は夢窓の後継者として春屋に目をつけ、延文2年(135... -
栄西
栄西 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)、『うちのお寺は臨済宗』(双葉社・1997)ほか 概略 栄西(ようさい・えいさい)は臨済宗?の開祖として著名な僧。一般的には「えいさい」と呼ばれるが、臨済宗?の寺では「ようさい」と呼ばれる。諡号は千光国師。「茶祖」としても知られる。永治元年~建保3年(1141~1215 ※生年には異説がある) 人物史 備中国(現岡山県)生まれ。吉備津宮の社家、賀陽(かや)氏の子として生まれる。幼いときから父に従って仏教の手ほどきを受け、11歳の時、父の友人である安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事。天台?密教?を本格的に学びはじめる。14歳で延暦寺に登るが、その堕落に絶望し、それを改革するため宋で密教?を学ぶことを希望し、仁安3年(1168)、28歳のときに入宋を果たした。当時、宋では既に禅宗が台頭していたた... -
宗峰妙超
宗峰妙超 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)は鎌倉時代末期の臨済宗?の僧。開山(初代住職)として大徳寺を創建する。諱は妙超、道号は宗峰、諡号は興禅大燈国師。師の南浦紹明?(大応国師?)から宗峰妙超(大燈国師)、のちに妙心寺の開山となる弟子の関山慧玄へと流れる純禅の系統を「応燈関」といい、現在、日本臨済宗?はほとんどこの法系に属する。弘安5年~延元2年/建武4年(1282~1337) 人物史 弘安5年(1282)に播磨国(現兵庫県)守護・赤松氏の家臣である浦上家(うらのえ)の子として生まれた。11歳の時に書写山圓教寺で天台?を学ぶが、のち禅にめざめ、鎌倉の高峰顕日や京の南浦紹明?に参禅。南浦紹明?が鎌倉の建長寺に移るにしたがって宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307)には師から印可(師の法... -
関山慧玄
関山慧玄 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 関山慧玄(かんざんえげん)は鎌倉時代末期の臨済宗?の僧。開山(初代住職)として妙心寺の創建に関わる。明治天皇から無相大師と追諡された。師の南浦紹明?(大応国師?)や宗峰妙超(大燈国師)から受け継がれた純禅の系統を「応燈関」といい、現在、日本臨済宗?はほとんどこの法系に属する。建治3年~正平15年/延文5年(1277~1361) 人物史 信濃国(現長野県)の出身で、信濃源氏の一族とされる。徳治2年(1307)に鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明?に師事。慧眼の法名を授かり、南浦?寂後も鎌倉にあって物外可什、巨山志源などに参禅する。建長寺開山の蘭渓道隆五十年忌出席のため再び建長寺に参じた際、ここで宗峰妙超を紹介され、大徳寺で宗峰妙超に師事。やがて「雲門の関字」の公案で開悟し、宗峰妙超が... -
天龍寺
天龍寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 天龍寺(てんりゅうじ)は、京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗?天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は正式に天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山?の第一位とされてきた。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開いた檀林寺?があった。その後、荒廃していた檀林寺?の地に後嵯峨天皇とその皇子である亀山天皇が離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山の... -
妙心寺
妙心寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗?妙心寺派大本山の寺院。山号は正法山、本尊は釈迦如来、開基(創立者)は花園法皇、開山(初代住職)は関山慧玄である。三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周囲には46ヵ寺に及ぶ塔頭寺院が建ち並ぶ。日本にある臨済宗?寺院約6,000ヵ寺のうち約3,400ヵ寺を妙心寺派が占めており、寺院運営に秀でた妙心寺は俗に「妙心寺のそろばんづら」とも呼ばれる。 歴史 京都の禅寺は、五山十刹?に代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。前者を「禅林」または「叢林(そうりん)」、後者を「林下(りんか)」と呼び、妙心寺は大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする林下の代表的寺院である。建武2年(1... -
大徳寺
大徳寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 大徳寺(だいとくじ)は、京都市北区紫野にある臨済宗?大徳寺派大本山の寺院。山号を龍宝山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)。茶の湯の文化と縁が深いことから「大徳寺の茶づら」とも呼ばれた。境内には仏殿、法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20ヵ寺を超える塔頭寺院が建ち並び、建造物、庭園、障壁画、茶道具、書画など多くの文化財を今に伝えている。 歴史 開祖である宗峰妙超は、鎌倉の高峰顕日(こうほうけんにち)や京の南浦紹明?(なんぽじょうみん)に参禅し、徳治2年(1307)には師から印可を得る。播磨国(現兵庫県)守護・赤松氏の家臣である浦上(うらのえ)家の出身であった縁で、正和4年(1315)、赤松則村(円心)の帰依を受け(元応元年=1319説も)... - @wiki全体から「黄檗宗」で調べる