『   ~~ 名も無き戦闘員による報告書 ~~



ラオウと範馬勇次郎、どちらも豪腕無双、堅牢無比の肉体を持つとあっては、その闘いはまさに古より伝わる矛盾の説話そのもの。
だが、この場に於いて、それを明確に予測しておく必要性を認識した為、両者戦闘の場合をシミュレートしてみたいと思う。
まず、両者の差を明確にしたい。
それぞれの肉体は、北斗神拳を用い肉体の持つ本来の力を出し切る事により、また狂気の沙汰としか思えぬ鍛錬により、その強度を持つに至った。
というかこいつら、首輪が爆発しても平然としているのではなかろうか?
いずれにしてもそれぞれの世界において、それは人間の持ちうる最高強度を誇ると言ってよい。
ならばその拳はどうか?
後背の筋肉が打撃に特化した形状をしている勇次郎。その鍛え抜かれた肉体と相まってそれは人類の持ちうる最も強力な拳と化している。
そんな筋肉で殴ったら風圧だけですら拳の骨が砕けるだろとも思うのだが、どうやら拳も鍛えてある模様。
骨を鍛えるとか、絶対におかしい。私は彼を人間と認めるのに非常な努力を要する。
対するラオウは、転龍呼吸法含め肉体全体としては確かに強力であるが、勇次郎のように打撃に特化し、肉体を改造するまでには至っていない。
磨きぬかれたその肉体自体に差が無いと仮定した場合、ここは勇次郎に一歩譲る点であろう。
しかし、ここでラオウの身につけた北斗神拳というファクターが出てくる。
パンチを放つ。これはその身につけた流派によって威力、精度、速度に差が出てくるのは周知の事と思う。
ならば、拳にて人を殺す、その点において1800年の間無敗を誇った北斗神拳の伝えるパンチが、威力、精度、速度において他と比較しえない程の優位性を持つ事は想像に難くない。
間違いなく秘孔なぞ必要無いと思われる。医者としての人生を歩もうとしたトキ氏のみ、その適正を理解していたと私は彼の行動を支持する。
さて、今まで挙げた点だけ考えると、拳においても勇次郎よりもラオウにこそ打撃力の優位性があると見える。
ここで一つ別の視点から見てみよう。
ラオウはその半生を修行に費やした。
それは北斗神拳という究極と言って差し支えない程の拳法を学ぶ為必要であったのだが、ラオウはこれと並行して自らの肉体を鍛える事も怠らなかった。
実弟であるトキの柔の拳をラオウは恐れたと聞くが、それは実の弟への遠慮がそうさせているのでは、と邪推してしまう程、彼の肉体も拳法も完成されていた。
対する勇次郎であるが、彼は特に決まった拳法を学んだという記録は無い。
絶えず実戦に身を置く事で、その身に戦う方法を刻みつけたという。
その方法論だけ見ると、正直極めて非効率的と言わざるを得ない。
だが、その相手が兵器を所持しているとなると話は変わってくる。
勇次郎がその身を置き続けた戦場では、無論勇次郎が素手だからと敵も素手になぞなってはくれない。
ラオウの居た時代にはありえない銃器の数々が彼を襲った事だろう。
しかし、それらと闘い続け、今の彼を自ら作り上げたのだ。
敵を殴った回数において、ラオウは大きく勇次郎に水をあけられていると思われる。
そこまで強さに拘る理由は私には理解不能だが、彼の周囲の人間を見ているとそんな彼の行動も不自然と思えなくなってくるから不思議だ。
きっとあの世界は筋肉の質と量で全てが決まるのだろう。文明をコケにするにも程がある。
そうやって育てあげた勇次郎の肉体と、ラオウが拳法修行の傍らに行った肉体修行と、これを比較すると確実に勇次郎に軍配があがる。
何より勇次郎はこのおかげ(生来の物なぞと私は断じて認めない)で肉体と僅かな道具のみを頼りとしていた石器時代の人類ですら到達しえない程の高い反射能力と運動神経を得ている。
超一流の格闘家の拳に対し、空中を半回転しながらのカウンターを行うという時点で既に承太郎氏のスタンドに匹敵すると思われるのだが、
そんなカウンターに対してカウンターを返すなぞ、それこそ未来を読めたとしても実現不可能な芸当である。
これはラオウには無いものだ。この一点のみをとってもその基本的スペックにおいてラオウは勇次郎には及ばない。
無論ラオウは転龍呼吸法にて、その潜在能力を100%引き出しているだろうが、それを含めても、勇次郎の優位性は動かないであろう。
勇次郎の肉体は人間の潜在能力云々で説明出来る類のものではないからだ。
人間に未だ活かせぬ潜在能力がある事は認めるが、それを全て開放したら勇次郎になれると言われても私は納得出来ない。
ちなみにこの転龍呼吸法、これを用いれば長期にわたって食事を取らなくても肉体的な衰えがほとんどないとされる。
新陳代謝とか質量保存の法則とかエネルギー保存の法則が見えなくなる呼吸法らしい。う~ん、殺したい。
そして、問題の北斗神拳である。
先ほどパンチのみを話題に出したが、この拳法の排他性は特筆に価する。
まずこれを極めるには血統による素質の有無が重要となってくる。
現にジャギはここで弾かれている。
そしてその素質に於いて、ラオウ、トキ、カイオウの三人は横並び(諸説あるが、ここでは言及しない)その上にケンシロウが居るという。
このケンシロウは1800年の歴史の中で最強と謳われた霞拳志郎に匹敵するといわれる規格外品なので除外すると、歴代でも稀に見る逸材との事。
余談だが、勇次郎も素質といった点では、生まれた瞬間世界中の強さランキングを一つ下げたと言われ程の素質の持ち主である。
それがその時代の間だけの話というのなら、ラオウと比べるべくもないが、生まれた瞬間にそのような事があったという事例はあの世界では私は勇次郎以外に知らない。
そういった意味では、二人に素質的な差があると私は考えていない。
北斗神拳は貴重な資質を必要とした挙句、一子相伝なのである。それを1800年。どこぞの皇室が見たら「ありえるかボケ!」とそれだけで激怒しそうである。
そんな北斗神拳自体の強さだが、これは同時代に南斗に代表される他流派拳法がその高い実用性に支持されて大流行していながらも最強を名乗り続けられた事から、勇次郎の世界のそれとは比較にならない完成度があると考えてよい。
勇次郎も数多の格闘技をその身に修めているとされるが、私が問題視しないのはそのせいである。
拳法の強さを比較する場合、その奥義のみに目が行ってしまいがちになるが、あくまで奥義は手段の一つと私は考える。
もちろん、北斗神拳の擁する奥義の数々はそれだけで相手に何もさせずに倒せるような物も多いのだが、
そもそもの地力の強さは、その拳法が如何に早く、強く敵を打てるか、そして如何に敵の攻撃を捌くか、に集約されると思う。
その為の手段を転龍呼吸法のみに頼っているというのでは、北斗神拳1800年の歴史が泣こう。
表立った見え方はしないが、これもまた究極の拳法と呼ぶに相応しい技術体系を築いていると私は推察する。
そして、更にこの拳法を凶悪なものとする要因に、闘気というものがある。
攻防共に利用出来、それによる遠距離攻撃すら可能というのだから最早何も言う気は起きない。
呪文を唱える分、まだルイズ女史の……失礼、キュルケ女史やタバサ女史の魔法の方が理解出来るというものだ。
ここまで語れば両者の差異は見えてくると思う。
その基礎能力(転龍呼吸法含む)に於いては範馬勇次郎に分があり、技術的な面に於いてはラオウの持つ北斗神拳と闘気が勝る。
どちらも単純に分類するならパワーファイターに属する二人だが、こうして各々の歴史を紐解いてみると、まるでそうでない事がわかる。
範馬勇次郎は、その反射能力と運動神経含む人類の持つ潜在能力すら超えた肉体、拳を振るう事に特化した後背部。
ラオウは、転龍呼吸法と自身の鍛錬による強靭な肉体、北斗神拳の一言に集約される攻防の技術に闘気と奥義。
以上が二者の相違点であると私は考える。


   PS ガモン様へ 申し訳ありません、そろそろ見張り交代の時間なので続きは他の者にお願いします
      いえ、別に結論が出ないとか、引き分けじゃマズイかなとか、そんなんじゃないです。ええ、本当に  』