「どういうつもりなのだ!」
鋭い男の声が、あくまで機能的に作られた事務所に響いた。
無機質な感覚をうけるさほど広くもない部屋に、その声の主――作りの良いスーツで身を包んだ男は怒りの表情を隠しもしないでいる。
怒りの矛先は、彼と対面するソファに座っている眼鏡の男に対してであった。
こちらは怒鳴られているにもかかわらず、平気な顔をしてひざの上で指をくんでいる。病的に細い指だ。
痩せた眼鏡の男の体が震えていないところを見ると、内面はともかく、おびえてはいないらしい。それがスーツの男には気にくわなかった。
真面目な顔をしているというのなら分かる、だがこの男はその顔に薄笑いすら浮かべているのだ。
彼はこの男を、扼殺しようとする衝動に耐えなければならなかった。
「何を考えている。貴様、何を、何をしようとしているのだ?」
眼鏡の男は何も答えはしなかった。もう何度このようなやり取りを続けたのだろうか。
スーツの男はうんざりするどころではなく、質問をするたびに次第に怒りをあらわにしていった。
「貴様、自分が何をやっているのか解っているのか!」
怒りを押さえるのも、もはや限界であった。
(これ以上眼鏡の男が沈黙を守るようならば、そのいけ好かない薄笑いごと凍りつかせるような目にあわせてやる!)
スーツの男はそう考え、彼がその言葉を口にしたとき、痩せた男は初めてその爬虫類にも似た唇を開いた。
「道を、探しているんですよ」
針金のようにやせ細った指で眼鏡を掛け直しながら言う男に、彼は不可解で危険な雰囲気を感じ取っていた。
どこかにズレがあるような、奇妙な感覚が彼の脳髄を刺激する。
「道だと?」
眼鏡の男は笑いかけた。いや、それは笑顔などという暖かみのあるものなどではない。口の両端をわずかに緩めただけの、氷の微笑……とでも形容すべき、動作。
「そう、私たちの進むべき道を」
眼鏡の男は相手のことをまるで気にかけていないかのような口調で続けた。
「あなたなら解るはずですよ、あなたならね」
「解るはず無いだろう! 貴様! どうかしてるぞ!」
男はスーツのしわを気にかけることもなく眼前の机を叩いた。
すっかり冷めきったコーヒーの容器がカタカタと震える。だがそれにも眼鏡の男は全くの静寂を保っていた。
「私はあんな事をするために、あの研究所に融資した覚えはない!」
「あんなこと、と言いましたか?」
やせた男は表情こそ動かさないものの、その目に一瞬、怒りをみなぎらせた。
はじめてこの男に感情らしいかけらを見出した事で、スーツの男は多少気を落ち着かせた。
もっとも、火のついていない煙草をくわえて揺らしているのはまだ怒りが解けていない証であろう。
お互い、その事に気がついているのかいないのか、ともかく眼鏡の男は、この男にしては珍しく自分から口を開いた。
「私はね、あんなことのために命をかけているんですよ、神坂さん。
道具を使うことで進化を拒絶した人類の、低迷と停滞を一掃する新しい風、新しい道」
「あの計画がその新しい道か? くだらん!
金輪際、融資はおこなわん。それで貴様の新しい道とやらも閉ざされる。残念だったな」
スーツの男――神坂というのであろう――は未だ微笑を浮かべている男に、吐き捨てるように、そしてまるで嘲るように言い放った。
しかしその言葉も、彼の虚無じみた笑顔を突き崩すことは出来なかった。
「いりませんよ」
「なに?」
神坂の顔が一瞬、ひきつった。
その表情の変化を眼鏡の男はまるで面白がるかのように――いや実際は今までとは変わらぬ表情であったが、神坂にはそう見えた――ゆっくりと、言葉を続ける。
「いらなくなったんですよ、貴方の融資も」
そう言って、男はまた針金のような指で眼鏡をかけ直した。
「……そして貴方も、ね」
PARTⅠ
二〇〇一年 二月二十四日 AM2:00[-Tokyo- Kamisaka's home]
神坂公史が彼の父親の死を報されたのは、彼が久しぶりに大学に行き、授業まで真面目に受けた日の夜中だった。
冬も終わりに近づくこの季節、いつもはサボっていた学校に足を向けた理由は、別に心を入れ替えて勉学に励もうとしたわけではなく、ただ単に『気が向いたから』だけであった。
久しぶりに受けた授業は彼が想像していた通り退屈なもので新鮮さもなく、何の感銘も受けなかった。
特に授業中、自分の席に長時間座っていなければならないのが苦痛だった。
公史は昔からその場にじっとしていられない質で、小学生のときから落ち着きが無く、成績も悪いというていたらくだった。
彼の成績表の備考欄にはいつも『元気で明るく、活発な子』と書かれていたが、それは他に褒めるところがないからで、裏を返せば協調性がないだけであり、歴代の担任教師の苦悩を垣間見ることが出来る。
もっぱらチームプレイを必要とするスポーツでは、常に独壇場。仲間のサポートという概念は彼の頭にはなく、周りの友人達から非難の声浴びたことが何度もあった。
公史自身も己の性格を熟知していたらしく、スポーツに関心を寄せることは少なくなったが、その代わり武術というものに興味を持ち、中学の頃から鍛錬に勤しんでいた。
そんな理由もあって、父親譲りの精悍な顔つきと、背が高く贅肉などついていない、がっしりとした体躯が周りにいた女子を騒がせたが、彼は自分が彼女たちにとってただの観賞用でしかないことを知っていたため、無視し続けていた。
そんな彼は日常生活の態度においても、反抗的で破天荒を極めていた。
彼自身が無駄と判断した校則などは率先して破り、規則では禁止されていた長髪も色染めも初めてやったのは公史だったので、教師達はいつしか彼に不良生徒というレッテルを貼ることになった。
ただ高校時代の後半に一度、生活態度が一変した事がある。
それは進学のためであり、いつも遊んでばかりいた彼が予備校に通いだし、家でも真面目に机に向かっている姿は、彼の妹の唯を驚かせた。
しかしその短い期間が過ぎ、一流とは言い難い大学にかろうじて籍を置くと、また昔の彼に戻るのに時間はかからなかった。
要するに彼は社会に出て働くという気が全く無く、もう少し遊んでいたいが為に受験勉強に励んでいたのだ。
この出来事は、いざという時の行動力の有無を示唆したものだった。
彼の妹に言わせれば、彼はいざという時にしか動かない怠け者だったが、それでも彼の行動力は別人を思わせた。
「進学などの人生の転換期では努力なしで事態の好転はないが、それ以外の期間はそれなしでも何とかなる」
それが彼の言葉だった。他人には授業をサボる言い訳にしか聞こえなかったが……。
「貴方のお父様が、先ほど亡くなりました」
公史は初め、この言葉の意味することが理解できなかった。
その原因は、騒がしいが内容の薄い深夜番組を居間で見ていた直後で、思考が鈍っていたせいでもあったが、
なにより話し手の無感情な声色と、話している内容のギャップが著しく大きく、彼に現実離れした錯覚を覚えさせたからでもあった。
「は?」
警察の者と名乗った電話の主の機械じみた声は、彼の陳腐な返答にも何の感情も示さず繰り返した。
「貴方のお父様が、先ほど亡くなりました」
公史はその言葉を頭の中に一巡りさせ、事態の把握に努めた。
時刻は夜中だったが、代議士という職業を持つ父にとってそれは珍しいことではなかった。
今日もどうせ事務所に泊まり込むつもりだろうと、半ば呆れ気味に考えていた矢先の出来事だった。
「なぜですか?」
この時公史は反射的に喋っただけであって、明確な意思を持って相手に問いかけたのではなかった。
頭の中に幾つもの疑問が飛び交い、それを整理できていなかったのだ。
あまりにも急な宣告に、口を突いて出たのは素朴で簡潔な言葉だけだった。
「実は匿名の通報が警察にはいりまして、私たちが神坂さんのオフィスに駆け付けたときはもうすでに。心中お察しいたします」
そんな公史の心境はよそに、帰ってきた言葉は丁寧でも簡素で、おおよそ感情という文字はそこから完全に欠落していた。
公史はそれからのことは余り覚えていなかった。いつ電話を切ったのかさえ思い出せなかったが、最後に警官の言った言葉だけは思い出す事が出来た。
「明日警察の者が伺いに参りますので、それまで外出は控えていただけますか?」
彼は妙に落ち着きだした自分に驚きながら、「当分学校は休みだな」と呟いた。
その日の朝、公史は日曜日にもかかわらず早起きをした。
気が立っていたからか余り眠ることが出来なかったが、疲れは感じていない。
いつも起きた直後は動く気になれず、ベッドの上で呆けているのだが、
昨日の事故が気になって頭から離れなかったのだ。彼はさっさと布団から抜け出して、テレビを見るために居間に向かった。
その途中、妹が既に起きていないかと恐れたが、まだ起きていない様子に安堵した。
唯とはまだ顔を合わせたくなかった。
案の定、テレビ各局はこぞって昨夜の事件を取り上げていた。
有名ではないにしろ、代議員の事務所で起こったこの事件は早くもニュース番組にも取りざたにされ、安易な疑惑に直結させられている。
見慣れた事務所の前で、恐怖という名の好奇心にとりつかれたリポーターの解説が、公史にとっては笑止だった。
「何も知らないくせに、知ったような口をきくんじゃねえ」
公史は心の内に溜まった苛立ちをテレビの画面にぶつけたが、しかしそれはこれから起こる未来への不安をうち消すものには成り得なかった。
彼にはやるべき事があった。妹の唯に父親の死を告げなくてはならなかった。一七歳の少女には残酷なことだが、事実を隠すわけにはいかない。
そう決めた後でも公史は気が引けていた。
こちらから知らせなくてもいずれ気付かれる問題なので、早く知らせた方がよいだろうが、そのタイミングがどうしても掴めそうになかった。
公史はテレビを消してソファに腰を下ろすと、眉間に親指を押し当てた。そして胸にわだかまる不快な塊を吐き出すような深い溜息をつく。
唯にどうやって話を切り出すかが問題であった。
どんな言い方をしても、彼女の美しく繊細な顔が悲しみに歪むのは必至だろうが、出来るだけ唯の心を痛めずに済ませたかった。
彼は唯が父親の死という事実に直面したとき、彼女がどういう行動をとるか全く想像が付かなかったのだ。
彼女の性格から、何日間か寝込むことはあり得る。
「全く、親父はロクな事をしない」
かなり罰当たりな事を口走ると、公史は又溜息をついた。これから先が思いやられる。
これからの生活がどう変化してゆくのか、彼には想像が付かなかった。現実という名の重圧が、彼の心に重くのしかかる。
公史は疲れたようにソファにもたれかかり、そして……、
その時、玄関のチャイムが鳴った。
公史は素早く時計を見た。午前七時三十二分。警察が来るにしてはまだ早すぎる。
マスコミがここを嗅ぎ付けたというのもないだろう。こんなに早く来るのは異常というものだ。
公史は頭の中でいろいろな思案をしながら、玄関に向かった。足早になったのは、チャイムのせいで唯が起きるのを恐れたためである。
「何だこんな時間に」
憤慨しながらも玄関先に出ると、扉の前にたって深く息を吐いた。
彼はすぐに扉を開けようとしたが、思いとどまってドアのチェーンをかける。
まさかとは思うが、もしマスコミ関係者が来ているのだとすれば、用心するに越したことはない。
しかし、その考えは杞憂に終わったようだった。扉の前には、公史のよく見知った男が立っていた。
「やぁ」
彼が良く知っているいつもの柔和な笑顔で、その男は公史に微笑みかけた。
その微笑みに公史はほっとしたようにドアのチェーンを外し、扉を開けて男を迎え入れる。
「達彦さんでしたか」
「久しぶり」
そういったのも関わらず、達彦と呼ばれた男の表情が曇った。
公史はこの表情から、なぜ彼が早朝なのにも関わらず駆けつけてきたのか、わかったような気がした。
公史と規崎達彦との交友の始まりは、公史の父である神坂憲一が未だ一介の弁護士だった頃、達彦が憲一の小さな事務所に就職してきたのがきっかけだった。
そのころ十六歳だった公史は、よく小遣いをせびりに父の事務所に足を運んでいたため、その頃から達彦と話をするようになった。
当時、丸めがねの青年弁護士はにこやかに微笑みながら、公史の愚痴とも言える話を不満な振る舞いも見せずに聞き、色々な助言を与えてきた。
母親が居ないこと、父親も忙しくて家庭を顧みる暇がないこと等の様々な要因が、小さかった公史の心を挫かせつつあったが、達彦という存在が支えになっていた。
また、公史が勉強が嫌いというただそれだけの理由で大学への進学を拒否したのを、穏やかに非難したのも彼だった。
何かをやりたいという夢があるならともかく、ただ逃避のために拒否するのは卑怯だと言われた時、公史はなんの反論もできなかった。
「やることが無ければ、とりあえず色々な経験をしてみることだ。受験するのも、大学に行くのも一つの経験さ」
そういってにこやかに微笑んだ達彦を、公史はいつまでも忘れることが出来ないでいた。
公史はいつしか、達彦に憧憬の念を抱いていた。
公史に促されてソファに座ると、達彦はとりとめのない会話を始めた。
学校のこと、妹の唯のこと、生活のこと。
いままで公史と達彦が会うたびに交わしあっていた会話だが、今回に限っては虚しく空回りしていた。
達彦が無理矢理絞り出した話題に公史が乗り、二言三言会話をしてとぎれる。
彼の珍しいほどの歯切れの悪さに、公史は達彦がここにいる意味をはっきりと感じ取った。
そしてついに話題を持ち出すことを諦めた達彦はソファに深々と座り直すと、それっきり黙り込んでしまう。
しかし彼をみかねた公史は自身から話しかけた。
「親父が死んだんでしょう? 知ってますよ。昨日、警察から連絡があったんで」
「そうか」
達彦はビックリして顔を上げると、深いため息をついてまた黙ってしまった。
「親父は、なぜ死んだのでしょうか。昔から心臓は悪かったから、もしかして発作で?」
「いや。神坂さんはオフィスで倒れていて、左胸には血が広がっていた。凶器のナイフは遺体の近くで発見されたそうだ」
重々しく言った彼の言葉に、公史は沈黙してしまった。あまりにも突飛な単語が達彦の口から飛び出したのだ。
平和のはずのこの日本で、身内を亡くした者にとってはあまりにも鮮烈な言葉。
公史は信じられないと言う思いから、離れることが出来なかった。
「じゃぁつまり。親父は……」
達彦は深いのため息をついて、男性にしてはほっそりとして繊細な手で顔を覆った。左胸からの出血、発見されたナイフ、つまり明らかに人為的な事件だったのだ。
「そうだ。君のお父さんは、殺されたんだよ」
PARTⅡ
神坂公史にとって父親という存在は、どこか別次元めいたものであった。
父の死を知らされてから幾日かが過ぎたが、公史はついに何も感慨のない自分に驚いていた。
二十年間付き合ってきた自分の父のはずが、何故か遠い存在に見えていたのだ。
そう、それは肉親の死というより、赤の他人の死。悲しいという感情の裏に、妙に冷めた自分がいた。
別に父が嫌いだったわけではない。ただこれまで、あまり話す機会がなかったのはその理由になるだろうか。
そんな彼だったから、達彦の援助のもとに行われた葬儀もいわば儀式化しており、式の最中に何度かハンカチを目にあてがったが、それは悲しみからの行動ではなく、ただあくびを隠す為だった。
ただ彼の妹は正反対の行動を示した。彼女は一晩中自室で泣き明かし、食事もとろうとしない。葬儀の時も、ついに一度も顔を上げようとはしなかった。
公史は彼女の過剰な反応が理解できなかったが、それは自分が冷たい人間だからだと思いこんだ。
しかし初めて彼が空虚を感じたのは、一段落して一息ついた後だった。
広い居間に一人でいると、まるで冬の寒さのように徐々に、しかし確実に孤独感が襲ってくる。
話はしないまでも、家にいるのといないのでは大違いだ。いつもある存在感が消失していることを、彼は知ってしまった。
(俺は肉親の死と言う衝撃に耐えきれず、感性の一部が麻痺してしまっていたのだ)
公史がそう気付くのに、時間は掛からなかった。
だがその現象は、よい方向に転んだと見て良い。兄妹二人して慌てふためいては、死んだ父親に大笑いされてしまうところだった。
不意に父親の笑顔が脳裏によぎる。短い時間であったがそれでも彼には父との思いでらしきものがあった。
あまり威厳に満ちた人ではなかったが、いつもどこかで公史達兄弟を見守っているような、不思議な暖かさがあったような気がする。
人間とは、失って初めてその存在の大切さを知る、救いがたい生物なのかも知れない。
テレビを呆然と見ながらそんなことを考えていた公史は、彼に近づいてくる人影に気がつかなかった。
「お兄ちゃん」
その言葉に我に返り振り向くと、いつの間にか妹の唯が居間に降りてきていた。
彼女はまだショックから完全に立ち直っていないのか、その大きな瞳を涙で赤く腫らせている。
もうすぐ高校三年になる唯は、兄の目から見ても美しかった。白雪のような肌と細く華奢な体付きは、彼女が持つ外面的な魅力を十二分に引き出している。
元々色素が少ないためか、その大きな瞳は淡い茶色で、時々光の配合で緑が掛かるときもあり、それがまた彼女の美しさを飾っていた。
常に公史はこの妹に対して、惜しみない助力をしてきた。
あまりに神坂兄妹の仲が良いので、友人に少なからず冷やかされたこともあったが、彼の唯に対する感情は、兄というよりも娘に対する父親のそれに近かった。
「唯……」
公史は振り向いて、ハンカチを手にしながら立ちつくしている妹を見つめた。
彼はこんなに悲しそうな彼女を見たのは初めてだった。
自分が死んだ時も、こんな顔をしてくれるのだろうかと、ふと思う。
「二人きりになっちゃったね、私たち」
鼻を啜りながら言う妹に、公史は優しい笑みを見せた。
「大丈夫、俺がいるだろう。何があっても俺はおまえを守る。だから心配するな」
「うん」
「でもよくそれだけ泣けるもんだな、俺なんて泣けもしない。自分でも驚いているくらいだ。
オヤジと血がつながっていないお前がそれだけ悲しんでいるのに、実子の俺は涙の一つも流さない。どうかしてるよな」
その言葉に唯は少し憤りを覚えた、兄は時々自分を他人扱いする。
幾ら自分とは血が繋がっていなくても、彼女は公史を他人と思ったことはない。
しかし彼女はその感情を表に出すことはなく、公史の肩に軽く手を添えて微笑んだ。
「お兄ちゃんは自分が思っているほど冷たい人じゃない。ううん、きっと誰よりも優しい人だと思う。だから自分を責める。自分を悪者にする事で、人を守ろうとしてる」
だがその先は自滅という未来しか残されていない。
唯はそのことを知っていたが 、話はしなかった。
その事は人に教えてもらうことではなく、自分で気付かなくてはならない事だからだ。
そうでなければ本当に理解したとはいえない。
しかし唯の心を知ってか知らずか、公史は自分の肩におかれた彼女の手をとると、黙ってそのまま居間を抜け、自分の部屋に入ってしまった。
居間にはつけ放しにされたテレビと、唯だけになった。
テレビでは未だ話題である、代議士殺人事件を大きく取り上げたドキュメント番組をやっていた。
なぜこのような事件が起きたのかを司会者と、どこかで見たようなタレント達が集まって、過去に起きた政治家暗殺事件と照らし合わせているようだ。
代議士、神坂憲一の身辺調査もオンエアされたが、唯と公史のことについては触れなかった。
どうやら取材陣に圧力がかかったようで、神坂兄妹を親身にしている規崎達彦の苦労が伺われる。
番組では被害にあった代議士が、珍しく堅物な人物であるということが強調されていた。
唯のよく知る義父の顔が、ブラウン管に映し出された。
何を勘違いしているのかアイドルタレントの一人が、
「格好いいおじさんですねぇ」と緊張感のない声で言ってスタジオを笑わせる。
この瞬間、唯はこの無神経なタレントを嫌うことにした。
彼女の義父は、何者かによって殺された。
そのことについては疑う余地もなく、当然調査が進められている。しかし犯人の足取りは未だ不明のままらしい。
マスコミには報道されてないが、いくつかのテロリストと称す
る団体から、犯行声明のファックスが警察宛に届いたようだ。
しかしあまり信憑性はないらしい。
つまり何も分かっていないということだった。
唯はため息を付きながらテレビを消すと、リモコンを少し乱暴にテーブルの上に置いた。
最終更新:2007年04月17日 09:51