Machination and Conspiracy.
PARTⅠ
二〇〇一年 四月一七日 AM10:15[-Tokyo- The Metropolitan Police Department]
規崎俊也は立腹しさを隠しもせずに会議室を出ると、警視庁の廊下を歩きはじめた。
見た目には常時とさほど変わらない表情をしているが、カツカツという規則正しいが力強すぎる足音が、彼の心理状況を明確に表している。
通り過ぎゆく人達は彼の様子に恐れをなしてか、半歩後ずさって道を開けるが、
しかし彼はそんな大衆には目もくれずに、鋭い眼光は反らすことなく前を見据えていた。
ただ彼の視ているものは目の前にあるものではなく、先ほどまで繰り広げられていた上層部の茶番劇だった。
彼の担当していたはずの事件を秘密裏に別口捜査していた事実は、容疑者として彼の実兄の名が出た事も相成って、俊也の怒気に拍車をかけていた。
上層部は彼にもっともらしい理由をつけて正当性をアピールしたが、残念ながら俊也の心には届かなかったようだ。
(こいつらと話しても、時間の無駄だ)
そう判断すると、彼は早々に切り上げて出ていってしまった。
そしてそれと同時に、事件の裏があることを確信する。
ただそれを確信するにせよ、事実として受け止めるには、何かしらの証拠が必要だった。
(しかしどうやって調べる?)
俊也は警視正という立場もあって、自由に行動できる機会は少なかった。
しかももし本当に事件の裏があるのだとしたら、しばらくは俊也の周りに監視が入るはずだ。
そこまで推考すると、自然にある人物の顔が浮かび上がった。
俊也には彼専用の便利屋がいるのだ。
これまでに何度か動いてもらったこともあったし、彼の好みそうな情報をちらつかせてやれば、イヤとは言わないだろう。
そう言えば、何かの事件に巻き込まれて怪我をしていたように思えたが、彼にとっては些細なことだった。
次の日の朝、警視庁ビルからほど近い公園に二人の男はいた。
館内で落ち合うのは危険と感じた俊也が、京介を外に呼びだしたのである。
しかしそれでも俊也の方が後から来たのは、やはり尾行を警戒したためであった。
「おい。お前、しばらく休暇を取る気はないか?」
自動販売機で購入したジュースの缶を拾い上げる加藤京介に向かって、俊也は挨拶もせずに話を切りだす。
そんな俊也に京介は驚くそぶりも見せず、窮屈そうに振り返った。
しかし背丈に違いがあるので、京介が見上げる格好になるはずなのだが、
今の彼には都合上出来ない理由があり、目線だけを上に向けていた。
「お前、俺のこの姿を見て、何の言葉も無しか?」
「似合ってるぞ」
「やかましい!」
俊也の顔を目だけで見上げながら、京介は不機嫌そうにがなり立てた。
彼の首には白いコルセットが填められており、肩と固定されて動かせないようになっていた。
小泉真奈美の放った人体に直撃した京介は、同病院で鞭打ちと診断された。
約六十八キロの肉塊が与えた衝撃が、彼の頸椎をしたたかに痛めたのだ。
ただ症状の深刻さの割には、余りにも情けない格好なので、京介は警視庁内でも始終不機嫌になっていた。
「俺がこんな目にあったってのに、上司は無視するわ周りからは笑われるわ、
しかもその事件捜査も見送りと来もんだ。いったいどうなってるんだ?
ありゃ絶対、見送り倒しでうやむやにするパターンだぞ?」
「私も神坂憲一の事件をおろされた。金輪際口を出すなと言われたよ。
全く、人の事件に横槍を入れておきながら、勝手な言いぐさだ」
無表情で愚痴る俊也を見て京介は深いため息をつくと、視線を下げながら手に持ったコーラの缶をもてあそんだ。
俊也が本気で怒ると激高せずに無表情になる性癖は、彼の良く知る所だった。
「で? 休みをくれるって言うのはどういう風の吹き回しだ?」
「休みというのは口実だ」
「そんな事はわかってる」
京介は缶を開けると、自動販売機に寄りかかった。いつの間にか先ほどまでの表情は消えている。
「小泉真奈美の事件が起こり始めた途端に、代議士殺人事件が解決した。
そして両方とも今後、上層部で処理されることになる。タイミングが良すぎだ」
「二つの事件に何らかの繋がりがあると考えても、あながち筋違いではなさそうだが。証拠が掴めていない」
どんな行動をするにせよ根拠を求める俊也の言動を、京介は鼻で笑い飛ばした。
彼にとって根拠は行動の後についてくるものであって、その辺は俊也と対局の考えかたをもっていた。
「二つの事件のこと、お前の兄貴から何か聞いてないか?」
「……いや、何も聞いてないな」
「本人から聞いてみるしかないかな」
「難しいな。それに拘留されている場所も秘密のようだ」
「へっ、あからさまに裏があるって言ってるようなもんじゃねぇか。上層部も馬鹿というか単細胞というか」
「しかし、そのおかげで捜査の糸口が掴める。
ただ問題は奴らが、故意に怪しく見せかけているかもしれないということだな。油断すると罠にはまるぞ」
「無駄な心配、ありがとよ」
俊也の慎重論に戯けてみせると、京介は空を仰ぎ見た。
未だ刻は正午をまわっておらず、春の風が草木の匂いを運んでいる。
青空にかかった薄い雲が、京介の目に眩しく映し出された。
ただやはり首は曲がらないので、そのさりげない行動も窮屈そうにみえた。
「期限は?」
暫く考え込んでいた京介は、その体勢のまま俊也に問いかけた。
「俺がお前の『休暇』を隠蔽できるのは、せいぜい二週間だ。それ以上たつと苦しいな」
「手段は?」
「この際だ、手段は問わない」
そこまで聞くと、京介は俊也に視線を戻した。俊也の口から『手段問わず』の言葉が出てくることが、珍しかったからだ。
(こいつ、いったい何を焦っている?)
京介は疑問に思った、口にしたのは別の言葉だった。
「もしも二件の事件が何らかの繋がりを持っているとして。最悪の場合、警察組織に喧嘩を売る事になるかもしれないぜ」
「望むところだ」
「警察官僚にあるまじき言動だなそりゃ」
京介の言葉に、俊也は片唇をつり上げた。
「あそこは私の安住の地ではない。今の警察は保守的な烏合の衆のたまり場だ。一度苦湯を飲ませた方がいい」
(それだけでは、なさそうだがな)
京介は俊也の表情を読みとろうとしたが、彼が余りにも淡々と話すので、心の奥底を推測することは出来なかった。
何にせよ、俊也から単独捜査の依頼が来たことは、京介にとって願ってもないことだった。
ただし手段問わずと言われても、無理なことは出来るはずもない。
「わかった。その休暇、遠慮なくとらせてもらうぜ」
「そのつもりでなくとも、力ずくでそうさせるつもりだった」
「またもや警察官僚にあるまじきお言葉。
俺は平和愛好家だからな。暴力上司に脅されて、しかたなく行動開始と行きますか」
京介はそう言って、ポケットに手を突っ込みながら歩き出した。
顔には微笑めいた表情が張り付いている。それはこれから起こる未来への宣戦布告だった。
そんな不敵に歩む京介の背中を、俊也は目を細めて見送った。
京介は自己陶酔型の性格をしているので忘れているだろうが、その首には不細工なコルセットが填っているのだ。
「本当に似合ってるな」
俊也はそう呟くと、誰にも見せることない微笑を浮かべた。
最終更新:2007年04月17日 19:31