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They were left in the hands of fate.

 翔子は青空が大好きだった。

 あの大空を自由に飛べたらどんなに気持ちがよいだろうかと、憧れにも似た感情を抱いていた。

 だからであろうか、彼女の友人はスチュワーデスになることを薦めてくれたが、彼女の成績がそれを拒むだろうし、何よりあの窮屈な鉄塊の中に入る気には、とうていなれなかった。

 自分の力で、自分の体だけで、あの広い大空へ羽ばたくことが彼女の夢だった。

『そう、私は翔子。この名が私になったとき、私は空を翔ぶことを運命付けられた』

 そして彼女は夢を叶えた。

 自分の力で、雲一つない大空へ……。

 彼女の体は宙を舞い、

 そして、

 冷たい地面に接触した。

 その日、東京都江東区にて自殺事件が発生。

 被害者は高層マンション内にある自宅、二十五階から墜落し、駐車場に駐車していた車のフード部分に激突後、即死。

 警察は被害者が体内に子供を宿していたという事実や、遺留品から語学学校の受講予約チケットが発見されたことで、刑事事件と想定した調査を行った。

 しかし手掛かりがつかめず、最終的には自殺と判断されるが……。

 彼女の自殺の動機は未だ不明のままである。 


PARTⅠ
二〇〇一年 四月十五日 PM12:00[-Tokyo- The Metropolitan Police Department]

「要するにただの自殺だろう? 大して珍しい話ではない。日に何件も起こるような、ありふれた事件だ」

 警視庁の廊下を足早に歩きながら、規崎俊也は表情も動かさずに端的に言い放った。

端正な顔立ち、隙のない身だしなみと身のこなし。しかし時折見せるその目つきから、 冷たい男と見られる俊也の最大の欠点はその口の悪さだろうか。

あまりにも現実的な性格を持つ彼の言葉には、氷で出来た鋭利な刃が常に潜んでいるようだった。

 ある種の潔癖性なのであろうか、彼はけっして誤魔化すような言動や素振りを見せず、
物事の本質を遠慮なく言ってしまうという性癖を持っており、そのせいで友人を何人もなくしているが、当人は全く気にも止めていないようだった。

 勿論、彼の上司達にも俊也をよく思っていない者もいるが、俊也の家柄と能力が彼らの口に重たい錠をかけていた。

 俊也の姿勢良く歩く姿が限りなく知的であるのと対象に、彼の横で必死に彼の歩調にあわせようと足早に歩いている男は、
衣服の汚れ、無精髭、ボサボサの髪を全く気にしない人物のようで、こちらも違う意味で人が寄り付きそうもなかった。

  彼は小汚いコートを風に靡かせながら、手にした手帳をせかせかと捲っていた。

「でもねぇ、彼女には自殺をする動機が全くなかったんだよ。
それに、おかしい点がいくつかある。ええと……」

 手帳と悪戦苦闘している男に俊也は一瞥をくれると、ため息を付きながら立ち止まった。

「第一に被害者は妊娠九ヶ月の女性であること。マタニティーブルーにしてはあまりにも過剰な反応だ。

 第二は二十五階という高さから落ちたこと。自殺をするには心理学の見知から言うと高すぎる。
多くの自殺者は無意識に生き残ることを考え、視覚的にはそんなに高くないところから飛び降りるというデータがある。

 第三に飛び降りた階には被害者の自宅があり、しかも靴を履いていなかった。
靴は自宅の玄関にあったため、被害者は裸足で外に飛び出し、自殺したことになる。だからどうした?」

 俊也は矢継ぎ早に言うと、面白くなさそうに眉間に皺を寄せた。

 男はその言葉に、人の悪い笑顔を向ける。

「何だ知っているんじゃないか。相変わらずいやらしい性格しているな」

「よけいなお世話だ」

「それだから、いつになっても彼女ができないんだ。いい加減に直せよ、その性格」

「結構だ。俺は忙しい」

 そう言うと、又歩き出す。今度は歩調も早くなり男を引き離さんばかりだったが、それでも男はしつこく付いてきた。

 俊也は舌打ちをするとまた立ち止まり、苦々しい口調で言った。

「私に何をしろというんだ?」

 俊也は早口に吐き捨てた。

「だからその性格を直せって」

「ちがう!」

 俊也の目がつり上がった。

「はははは、まあそんなに殺気立つなよ。もう少し詳しく調べてほしいんだ、この事件。お前も怪しいと思うだろう?」

 その言葉に俊也は何の表情も動かさなかった。ただ男を視線で焼き殺さんばかりに睨み付け、その場で石のように固まる。

 実は、これは俊也が深くものを考えるときの癖で、男にとっては見慣れた場面だった。

 ただ他人はそうは思わない。

 彼がこの癖を出すと、余りの顔の険しさに大抵の者はストレスを覚え、胃に穴を開ける。

 これが彼の部下を何人も胃潰瘍患者にし、結果的には彼の周りだけ、人事異動が頻繁に行われるという事態を引き起こしていた。

 しかしその事にも俊也は気付いていない。

 彼はすでに五分以上その場に立ち、あたりを一種異様な、緊迫感という名の空気に変えていた。

「その事件はもう解決した、今更ほじくり返して何になる」

「違う。手っ取り早く理由を付けて、解決したように見せているだけだ。
 なぁ、もう一度調べてくれよ」

 俊也はこの男を本気で殺そうかと思った。全く、この男はいつも無理難題をふっかけてくるのだ。

 しかし彼にとってこの男は、いろいろな意味で必要な人物だった。

 ここで恩を売るのもいいだろう、別にヤツの力になりたいという考えはない。
俊也はそう自分に言い聞かせると、さもいやそうな口調で言った。

「人手がないんだ、調べるんだったら勝手にお前一人でやれ。
俺に迷惑はかけるなよ」

 俊也の言葉に男は会心の笑みを見せた。

「さすが、持つべきものは美人のねぇちゃんと、物分かりの良い上司ってモンだな。恩に着る。ラーメンぐらいはおごるぜ」

 俊也はその言葉を鼻で笑い飛ばすと、あたかも彼との接触を、これ以上保ちたくないと言わんばかりに大きく靴音を響かせて去っていった。

 その後ろ姿を見て、男はポケットに手を突っ込むと、音程の外れた口笛を吹きながら警視庁の玄関へ向かった。

 男の名は加藤京介という。

 規崎俊也とは直属ではないが上司と部下の関係であり、元同僚であり、友人だった。

 俊也は警視正、京介は平の刑事だが……。