鳴鐘の福音


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[ 鳴鐘の福音 ]



 天に揺蕩う水面を冠しながらも躯の正中線に従って奥へ深みへと遡った終着地、脳髄の中に閉じこもって永久に赤に変わらないシグナルの青の如く明滅する点が叫喚する。意識と呼ばれるものがすべて其処に吸いこまれたよう周囲の洞の隅々まで真空化した頭蓋は広漠で静止停滞的で、血液も神経も何も無いかのようあらゆる外界と没交渉だ。嘘偽りの不純物を微粒子たりとも介さない感情の恒星は先程から全く劣化や衰退の兆を寄せつけずぼんやりと光の色に煌めき、その濃度を薄くあるいは黒く流転させつつ欲望の流砂へ墜落してゆく。身体の中に闇みたいにどろりとした液体が肺を濡らし気管を塞ぎ呼吸を止めて生体としての僕を終わらせようと侵入してくるのに無抵抗のまま何かが跳ねるような飛沫を頭上で聴いたような気がした。何故だか苦しみなどと切り離されたらしく意識は覚醒していたけれど、しかし僕を見下ろす隔絶されたような思考は俯瞰或いは再読の構図に似ている。まぁいいや。悩んでも仕方ない、なんてどこか投げやりな思いがそのまま頭に夢想を許す。
 幸福だったと思う。整理せずぐちゃぐちゃに散乱された玩具みたいな感情の欠片をひとつひとつ葬列の十字架のよう並べていく過程でそれだけは最初から確定していた。三度、腐敗と異形と枯草と闇と、生死を分かつ戦場で。一度、笑ってしまうほどに平和で呆れ返るほどに平凡な暮らしをしていた夢で。其のどれもに一律な共通項が有るとするならば、やはり幸福という感情が存在していたことに他ならない。
 殺し逢うとは幸福な事だ。
 踊り狂うとは幸福な事だ。
 体温を感じたような妙な現実味を帯びながらも絶対に有り得ないような平和的なあの夢だけがただ例外ではあったけど、それはそれで幸福だったのだから間違いない。夜と血と腐肉で描いていた世界に黒い血色の筆で自分勝手にひとつ罰点をつけるような傍若無人で最低な彼は、でも別に僕の恋人でもなんでもなくて唯一のダンスパートナーとしか表現出来ない存在だった。共闘したのは二回だけ。この際だから言うならば、急に錯乱し余裕無くして全て投げ捨てて此方に走ってきて死にかけた癖に二回目では死んだら殺すとか矛盾した言葉を勝手に投げたり、その二回で彼の評価が僕の中でどう上下していたかと聞かれたならば正に最低の二文字に相応しいことにはなっていた。でもそんな貸し借りによる印象の図線も今は関係ない、水母みたいに揺られるだけの―――否、あの鐘を取り落とした時点で僕は僕でなくなりつつあるのだから。


 回顧するにしても最近のこと、それも殺し合いのことしか浮かばないのだけれどそういえば折り紙のおねーさんは面白いことを言っていたな、なんて思った。個人的には恋愛劇の綺麗な起承転結のち大団円とかより欠けた四肢と散乱した内臓で描く地獄絵図のほうが好きだしずっと馴染む。屍と踊るだけの生を送っていたからだろうか、彼女たちの正義は金平糖みたいにきらきらと甘くて優しい糖蜜の味がするようだった。悪いなんて言わない、むしろ羨ましいくらいだ。あの二人は道を踏み間違えないかぎりは幸福が保障されている。最も他者を生餌とする化物だからこそ陽の射さない鬼道などを選ぶのだけど。


 ――黒の画用紙に灰のクレヨンでもってつらねられた、ひたすらにまっすぐな平行線のよう。この手許からずっとずっと延びて続いて泡沫のベールの近くまで糸を結ぶ先に彼が今堕ちてきた。愉しかったけど莫迦だ、なんで笑ってるかなんて原因のキミが聞くの。キミが僕なんか守ろうとした挙句に落ちてきたからだよ見てられないなぁ本当にもう莫迦じゃないの見捨てたら勝てただろうにあの二人に蔦を振り下ろすだけだったのに。そういえばヴュルヘイムの時もそうだったねこれ以上は暴落どころか急転直下もしないよ、ここが本気で最底辺だ。
 それが僕らにはお似合いなんだろうけど、でも生温い愛なんて相応しくない。だからそれだけはタブーなのにさ、キミは本当に身勝手で最低だ。
 初めてのキスは血の味でしたなんて、笑えない。


+++



 ……パズルの欠片からなるような不定形の乱雲の睡蓮が瑞々しいラベンダーガーデンでも宙界に浮かべたかの如き色の大空、その水面を流れながれてゆく様は例えていえば礼拝堂に聳えたつあの数百ものパイプをきらびやかに配列したオルガンからたなびく荘厳な和音の芸術性に相通じるものがあり、更に言えば或るひとつの世界が崩壊した十二時間にも満たないあの日の出来事を追体験しそうな程に目の前の夜明けの天蓋は様々な感傷を心中と経験の根幹から揺さぶるものであった。
 ふとした折に人について考えること。
 皆無ではない。例えばそれは古酒の一杯が齎す自堕落な酔いのなかで、あるいは海岸線を疾駆する旅客車の窓の其の彼方まで瑞々しくひろがり視野の限界を教えんとする波の襞の向こう側から、よしなし事を囁きにきて去ってゆく。併し其の機会の回数が多くないのは、要するにこの場合そんなふうに一から省みて如何にかなる程の初心で普通な死生観の持ちあわせがない故に必要性に駆られぬからどうにも平均より随分と頻度を欠くのだろう、そう侭に諒解している。結論してしまっている。存在を示す言葉は広義に渡るくせ私という個を差すにはどれもが違うが完結しきっているので其処まで逼迫した存在理由への希求とは縁が無い。故に好奇心という渇望も他者と比べるならば随分と希薄なものなので戦奏へ彼女を向かわせてみたのも糸を手繰ってみれば確かに気紛れが発端だった。それにしたならば表裏含めて随分と上出来な収穫があったものだ。
 愛を識ったという事実は構わない、私に教えられるならばそれはひとつの知識として蓄えられるものだから何か問題や損害が其処に発生する訳もない。しかしその感情論にたったひとつといえ不愉快な事柄が存在するのだから、さて如何にしようか。今はまだ夢の中で最後の頁を御守りのよう繰り返し反復し再読しているのだろう少女の抜け殻を回収したのは欠片くらいしか持ち得ていない私の義務だったのだからともかく自分の物が他者に目移りしている感覚がこんなにも苛立つものとは思わなくて、いつの間にか唇が弧を描いているのに気付く。不愉快なのが愉快だ。コインの裏側は裏であるとでも言いそうなほどに途方もない矛盾を内包しながら平常を保つはやじろべえの如くに不安定だが、これはこれでなかなか面白いと云えるだろう。互いの独占欲が強いのは構わないが、あの鐘は私に所有されている事実を忘れてはならなかった。一時や一瞬、刹那でさえ五臓六腑に染み込ませた筈のその束縛の上で踊るべきだった。
 寒いか。水中は昏いだろう。それとも今はそんなものどうでもいいのか。嗚呼もう大丈夫だ。安心するといい。これからもっと下に墜ちるのだから。最底など笑わせる。彼と一緒ならば確かに其処が果てだろうが、私と一緒ならば其処はまだまだ中間地点だ。それすらも分からなくなったのかな。可哀相に。もう一度刻み込んであげるから安心しろ。

 ―――夜明けを塗り替える朝焼けも流された血も感情も、きっとそれはルビーの華のよう全て吸いとって悪しざまに紅い。


 [ 了 ]