えるのおるすばん


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「エル。1週間ほど、留守を預かってくれないでしょうか?」

 子煩悩な考古学者、アゼル・エインズワースがそんなことを言い出したのは6月の初め──雨季に入る前の、ある暑い日のことであった。

* * * *


「珍しいですわね、お父様がそのような長期間外出をなさるなんて」

 ふわりとしたプラチナブロンドの髪を揺らしながら、彼の娘エルは答える。
 今まで彼は、出張の時や遠くの遺跡への調査が必要となった時も、よほどの理由(例えば遺跡周辺が危険地区であるとか)がない限りはエルを助手として同伴させていた。出張や遺跡調査は基本的に数日で終わる。というのも、出張は事務的なやりとりや会議・学会が目的であるために短くて半日、長くても3日で帰ることが出来る。遺跡調査の方も、最近新しい遺跡は見つかっていないために古い遺跡を再度調査するものがほとんどで、5日もすればだいたいの作業は完了するというものなのだ。更に言えばこれまでその「よほどの理由」のためにエルが留守番をした事は1度もない。つまり今回がエルにとっては初めてのお留守番と言うわけで。
 父親が自分を置いてどこかへ出かけ、尚且つその期間が普段の外出よりも長い事にエルは疑問を覚え。その疑問を素直にぶつけると──。

「昔の友人に会ってくるだけですよ。ふふ、心配要りません。すぐに戻ってきますから安心してください」

 フラグのお手本のような台詞が返ってきた。
 しかしフラグの何たるかを知らないエルにとってそれは単なる「普通の返答」でしかなく。昔の友人に会うだけなのに1週間も宿を空けることに対してまだ疑問を持っていたものの、父親には父親の交友関係があるのだと無理矢理自分を納得させるのであった。

* * * *


 そして、アゼルが出立する当日。

「では、行ってきますねエル」
「行ってらっしゃいませお父様。道中お気をつけて」
「ご飯はちゃんと食べてくださいね?」
「大丈夫ですわお父様。論文に夢中になって気付けば3日ほど食事を取っていないというようなことにはなりませんから」
「戸締りはしっかりとするのですよ?」
「大丈夫ですわお父様。窓を開けたまま寝てしまって気付けばレポートの重要箇所が風に飛ばされて紛失しているなどということにはなりませんから」
「睡眠もしっかりとること。いいですね?」
「大丈夫ですわお父様。研究に力を入れすぎるあまり気付けば1週間ほど睡眠をまともに取っていないということにはなりませんから」
「……エル。君はひょっとして私の事が嫌いなのかい?それとも反抗期なのかな?」
「何を言っているのですお父様?私はお父様のことが大好きでしてよ?」

 どこか困ったように、或いは悲しげに溜息をつくアゼルをエルは首を傾げて見つめ。そんなエルを見てアゼルは苦笑いを浮かべてぎゅっと抱きしめるのであった。

「じゃあ、行ってきます」

 アゼルはしばしエルを抱きしめていたがやがて彼女から離れ、愛用のごついバイクに乗りこんで彼女に短くそう告げる。エルもまた、にこりと微笑んで「行ってらっしゃいませ」と返事をし──彼を乗せたバイクは、僅かな土埃を上げてどこかへと走り去って行った。 

 父親を見送った後もエルは暫くその場にぼんやりと立っていたが、そのままでも仕方ないと思ったのだろう。軽い溜息を一つだけ落とすと、彼女はそのまま自室へと戻るのであった。

* * * *


 【お留守番1日目──10:03】

 この部屋はこんなに広い部屋だったかしら、とエルは思う。今まで父と2人で泊まっていた宿屋の一室。やや狭いと感じた事はあっても、広いと感じた事はあまりなかった。たった1人部屋からいなくなっただけで、こんなにも違うものなのでしょうか、と思って彼女は部屋を見渡す。
 いつもとは違って整理された机の上。空っぽのコーヒーポット。紙をめくる音や何かを記す音のしない部屋。今日から1週間は、彼女は1人きり。本を読んでいる最中に眠ってしまった彼女へ毛布をかけてあげられる人も、食事にしようと彼女へ声をかける人も、夜寝る前に優しく頭を撫でてくれる人も、朝起きた時におはようのキスをしてくれる人もいない。
 しかしその事に寂しさを覚える前に、彼女はとある事に気付いた。

「……1週間」

 ベッドの上で跳ねても、本を好きなだけ読んで夜更かししても、ご飯の前にお菓子を食べても、食事の中に入っているブロッコリーを残しても怒られない。注意されない。

「お留守番って、案外楽しそうですわね」

 まさかのエルネスティーネ、反抗期説が浮上した。

 だがお留守番、それも初めてとなれば苦労もあるだろう。彼女とその父親がいるのは仮にも宿屋の一室であるために掃除は宿の人間がしてくれる。幸い宿屋の1階奥には洗濯室というものがあり、有料ではあるが洗濯機や乾燥機を利用することが可能であるために洗濯については問題ないだろう。食事の方もまた、決められた時間に宿屋の1階にある食堂に行けば食事をとることができる。部屋には小さめのキッチンがあり、そこで料理をすることも一応可能だった。

 機械である彼女が食事をとる必要性があるのかは甚だ疑問ではあったが、食事をとる習慣がつき始めてからは一定時間が立つと「空腹」というものを覚え、行動や感情にやや影響が出てき始めてしまうようになってきたらしい。故に、「取らなくても良いが取った方が気持ちに余裕ができる」と言った理由で彼女は食事を取っていた。因みに好きなものは甘味とオムハヤシ。嫌いなものは先ほども挙げたがブロッコリーと、それに加えて茄子とズッキーニである。矢張り機械なのに好き嫌いがあるのか、という疑問が浮かぶであろうがそこは普通の人間と変わらないらしい。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。実にシンプルな答えであった。

 話は僅かにずれたものの、ぱっと見では食事・洗濯・掃除いずれも宿屋にいる限りでは不自由のない生活を送り、安全にかつそれなりに快適に父親のいない1週間を過ごすことが出来る。では一体何が問題であるかというと──。

「前々から気になっていたのですけれど、卵をレンジで温めるとどうなってしまうのでしょうか?」

 好奇心は猫をも殺す。
 人並以上に強い好奇心に追い討ちをかけるかのように、エルの知識は肝心なところ、例えば料理だとか生活における雑学などの知識が不足していたのだ。

 この調子で彼女は果たして1週間無事に過ごすことが出来るのだろうか?
 不安を更に煽るかのように、レンジの方から不吉な小爆発音と彼女の悲鳴が聞えた気がした。


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