一真実証明(5)


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一真実証明(5)

妙法華経と富士山と六根清浄

妙法蓮華経如来神力品第二十一

『如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す』

と有ります。

一切大衆が皆、六根清浄と成り得る事が出来るのか、この事を証明しましょう

仏説観普賢菩薩行法経

『時に三大士、異口同音にして仏に白して言さく、世尊、如来の滅後に云何してか衆生、菩薩の心を起し、大乗方等経典を修行し、正念に一実の境界を思惟せん。云何してか無上菩提の心を失わざらん。云何してか復当に煩悩を断ぜず五欲を離れずして、諸根を浄め諸罪を滅除することを得、父母所生の清浄の常の眼、五欲を断ぜずして而も能く諸の障外の事を見ることを得べき。』等

「父母所生の清浄の常の眼、五欲を断ぜずして而も能く諸の障外の事を見ること」

即ち、六根清浄を得る事が出来ますか

仏説観普賢菩薩行法経

『阿難、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・八部・一切衆生の大乗を誦せん者、大乗を修せん者、大乗の意を発せん者、普賢菩薩の色身を見んと楽わん者、多宝仏の塔を見たてまつらんと楽わん者、釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし』等

故に、この「観」を学べば、六根清浄となることは当に明らかです。
是の「観」とは、一体如何なるものか、今之を証明し此の道を示し申しましょう。
経にも示されているように

仏説観普賢菩薩行法経は、雑華経の略された一部で、其の雑華経とは、仏に成る正しい経で、仏口より直接教えを受け、それを正しく行ずる者のみ知る事の出来る経の事であり、

之即ち「是の観」と申すものです。
是を学する者は、六根清浄と成る事が出来るのです。
過去に仏の弟子の行を行じた場所は数多く有るけれど、その内我が国に於いても
弘法大師の高野山、天台、伝行大師の比叡山
又、修道者の大峰山
日蓮大菩薩の身延山、亦、七面山等数々あるけれども、

皆是方便の山にして富士山こそ真実の六根清浄と成る事の出来る山です。

富士山は、其の高さ十合あって、仏口を以ってすれば、五百由旬です。
普賢菩薩の化作された山です。

経に、普賢菩薩は高さ高さ四百由旬の白象に乗れりとある。

仏説観普賢菩薩行法経

『普賢菩薩は身量無辺・音声無辺・色像無辺なり。此の国に来らんと欲して自在神通に入り、身を促めて小ならしむ。閻浮提の人は三障重きが故に、智慧力を以て化して白象に乗れり。其の象に六牙あり、七支地をえたり。其の七支の下に七蓮華を生ぜり。其の象の色鮮白なり、百の中に上れたる者なり。頗梨雪山も比とすることを得ず。象の身の長さ四百五十由旬、高さ四百由旬』

四百由旬は、八合目に当たり、その上は霊界です。

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妙法蓮華経化城喩品第七

『譬えば五百由旬の険難悪道の曠かに絶えて人なき怖畏の処あらん。若し多くの衆あって、此の道を過ぎて珍宝の処に至らんと欲せんに、一りの導師あり。聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり。衆人を将導して此の難を過ぎんと欲す。所将の人衆中路に懈怠して、導師に白して言さく、
 我等疲極にして復怖畏す、復進むこと能わず。前路猶お遠し、今退き還らんと欲すと。
 導師諸の方便多くして、是の念を作さく、
 此れ等愍むべし。云何ぞ大珍宝を捨てて退き還らんと欲する。
 是の念を作し已って、方便力を以て、険道の中に於て三百由旬を過ぎ、一城を化作して、衆人に告げて言わく、・・息(やす)めん』等

日蓮大菩薩七百年前、是の富士山こそ、六根清浄の霊山と看破され、経典にあるように、其の「日表側」の高さ六合目三百由旬の経ケ岳に、其の法華経を納め、後の人の為に化城を印されました。

其の後七百年の歳月が流れ昭和十二年十二月十二日久保角太郎氏、是の事を知り、其の富士山の「日裏側」同じ高さ(三百由旬六合目)の身延山七面山の頂上に、妙法蓮華教菩薩法仏所護念の目標を表示されたのも、いまだ権経即ち方便の教えなるので、一歩も真実に進み入る事が出来ず、故に昭和、当に釈迦牟尼仏の説法の時と申されて他界されました。

日蓮大菩薩も久保角太郎氏も之共に正使です。日蓮大菩薩の七百年前より、久保角太郎氏の間は、衆生を息んが為の方便の化城です。

妙法蓮華経化城喩品第七

『導師息み已んぬと知って 衆を集めて告げて汝等当に前進むべし此れは是れ化城ならく、耳我汝が疲極して中路に退き還らんと欲するを見る。故に方便力を以て権に此の城を化作せり、汝今勤め精進して当に共に宝所に至るべしと言わんが如く我も亦復是の如し』等

我今大衆の為に真実の法を説く。

昭和三十年七月十八日時来たり、霊峰富士山上釈迦岳に

平等大慧教菩薩法仏所護念真実証明の多宝仏塔を妙法華経の力に依って、億々萬劫初めて、故の如く平等大慧会々員の手によって還す事か出来、今迄、何教何人の手によっても成し遂げる事の出来なかった大事業の六根清浄の道が、昭和の今日当に開かれたのです、是れ大衆の為です。

今迄、高野山、比叡山、身延山、七面山等、何回登っても、誰一人六根清浄に成る事が出来なかったが、今は、正教妙法華経の力に依り、霊山富士山上釈迦岳に平等大慧教菩薩法仏所護念真実証明の宝塔燦々と輝き居れり。

妙法蓮華経法師品第十

『薬王、在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います』等

亦、『若し人あって此の塔を見たてまつることを得て礼拝し供養せん。当に知るべし、是等は皆阿耨多羅三藐三菩提に近づきぬ』等

亦、妙法蓮華経如来神力品第二十一

『若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう』等

等示されて居る事、今実現しました。故に、大衆の者六根清浄を得んと願う者は、霊山富士山上釈迦岳、又成就岳の宝塔を礼拝供養し、六根清浄を成就すべし

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